二拍子 |
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今回、採りあげる『二拍子』は、ほとんど字句の書き変えはない。 故に、作者の萩原さんが、これまでの三つの中で一番安心しているのは間違いない。 実際この歌を彼の前で歌ったときに見せた表情は、それであった。 それどころか、感動の表情が明らかであった。 つまり、自分の書いたものであることも忘れてか、だからこそかは判らなかったけれど、 涙ぐむほどだったのだ。 彼を一番感動させるものは、彼自身の感性なのだから、 それを実直に出現させれば、彼の琴線にふれることは当然なのだとは思う。 しかし、まっすぐにそれを表現できる人は、多くはないだろうな。 そんな作品がこの『二拍子』なのだ。 |
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とはいえ、上にならべた二つの作品は、もちろん、まったく同じというわけではない。 それどころか、見かけ以上に実はちがうということを、後日知った。 あるとき萩原さんに、酒席で自作のリーディングをお願いした。 僕は軽い気持ちで、僕が作曲して、 自分で歌いやすいように(つまり、右上のように)書き換えた“歌詞カード”を渡した。 読み始めた彼の声を聞いて僕は耳を疑った。 そこに現れている風景は、僕が作曲したものだったからだ。 すでに、彼の詩から思い描くにしては、ずいぶん僕ヨリのものだったのだ。 僕の歌うところの作品を、彼がリーディングしていたということだ。 彼の目の前にあるのは、及川のための歌詞カードあり、 萩原さんの作品ではない。 もちろん彼は意識的にそうしたわけではないので、 僕が驚いていることに、驚いていた。 彼が自作を暗唱することはない、と言った理由を実感させられる出来事だった。 彼はまさしく、自分の声でインプロブィゼーションしているのだった。 目に触れる文字を手がかりにして。 この事実は、明らかに一般に言う詩の朗読とは一線を画している。 |
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繰り返すが、彼のリーディングは、自分で書いたものであるにせよ、読むべき対象は、 リーディングという行為を成立させるための、テキストにすぎない。 この事実は、裏を返せば、詩集になった時点で、 萩原健次郎という詩人にとっては詩集は“終わっている”ことを意味する。 もっといえば、彼の詩集を手にした読者は、萩原詩を追体験するのではなく、 それぞれが新しく体験をしていきなさい、ということになる。 彼自身が、リーディングという方法で、自分の詩をそのつど新たに体験しているように。 なんのことはない、詩というものを正確に位置づけているだけだ。 つまり詩が、本来「実用的」であることを、それぞれのやり方で取り戻そうというのだ。 唐突ではあるけれど、僕はかつて原口統三が、自作品を焼却して、 入水自殺に至った事実を思い浮かべる。 |
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萩原氏のリーディングという行為に、僕が“カタイレ”しているのは、 僕自身が日ごろ、歌のステージにたつとき目指しているものと類似しているからと思う。 と思う、と歯切れが悪いのは、まだ整理がついていないのと、エンリョとによる。 ともかく、相当の部分で重なり合っているのは確かなところだ。 いずれ、もうちょっと正確に見えるようになってから、また報告したい。 現時点での実感はこうだ。 僕自身にとって、SONGを作るとき、まず思い描くのは、 舞台で歌っている状態である。 つまり、僕は詩集を作るわけではないので、初めから歌詞は、 “歌う”という行為のテキストとして位置づけられる。 萩原氏の詩集を作る行為、つまり活字としての表現を除けば、 彼の言うリーディングは、僕の歌うという行為と、非常に近しいと言っていいのだろう。 僕らミュージシャンも、電気信号の録音盤として作品化するという行為に、 そして、その事実に無批判に寄りかかっているかもしれないということに、 いくらかでも、敏感になっていい時期だろう。 |
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二拍子の登場人物について、萩原さんに問われたことがある。 僕は親子の三人連れ、と答えたのだけれど、彼は笑っていた。 この一編を通しての正確な答えは無い、あるいは多数あると言っていいのだろう。 実際、この詩を歌っていると、僕の歌上のスタンディングポジションが、 めまぐるしく変わっていく。 詩集として読んだときには、一行一行その言動の主を確認できたつもりだったのだが、 歌っていると、それらは時には、混ざり合う。 たとえば、 「お互い手を叩けば どれぐらい痛い?」 という問いかけが子供の心の中にいる親としての自分だったりさえする。 こう書いていると、やたら複雑に聞こえるけれど、 歌っている僕は、気持ちよく子供の心の中で♂フっているにすぎない。 萩原さんも、書いた当初のことなど一旦忘れて、 リーディングしている時は、こうした飛躍を、楽しんでいるのだろう。 |
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