小 舟 行 |
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前回の歌のはなしが好評につき、連続掲載します。 ♪なんて、うーそーでー♪ なんだかんだの批判を食らう前に、書くだけ書いておこうという、 見えすいたこんたんなのであった。 萩原作品は水のようなもので、どんな器にもおさまる。 だから巨大ダムがあるとしたら、その形と規模になってしまうし、 僕というコップでも飲むことはできる、ともかく。 実は、前回の歌のはなしに「冬の池」を掲載するとの許可を、 とうの萩原さんのからもらいそびれてしまった。 だから当然その件について連絡はしていない。 だから当然非難される心配がない。 つまり今のうちだから書いておけることもあるやもしれぬ。 |
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『小舟行』詩は、読んでいただくと、すっごい内容だと、すぐに判っていただける。 こういう言葉に出会うと、僕はどうしても抵抗したくなってしまう。 お化け屋敷などで、怖さのあまりついつい笑っているオナゴのような心境だ。 今春、京都での萩原さんとのジョイント・ライブのとき、僕はこれを歌った。 聞いた萩原さんは、戸惑いの表情を隠せなかった。 『耳の戸惑い』であった。 僕なりに気に入っていた自作曲だったこともあり、かなりウタッテいたと思う。 で、あればあるほど、ちょっとばかり、ボサノバの入った軽いのりのせいもあるが、 詩の内容を伝えてる意志があるのかと、 一部の人は作曲者および歌手に問いただしたくなったかも知れない。 作曲者も僕です。 歌を作り歌う醍醐味は、こんなうらぎりにもあるのだ、と今のうちに言っておこう。 今後きっと使いにくくなるるので・・・。 |
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今回の詩をちょい分析。 小舟行、は改行のめまぐるしさ、そしてけた外れの段落がなやましい。 そして、内容のワリには軽快というか、スガルイ言い回しもポイントだ。 たとえば、 ふるえるでしょ、 「海を考えていた」なんて嘘で、 すごいスピードで、流されていただけで。 「でもすぐに、海にたどりつくでしょ」 などなどである。 ようするにこんなんに、僕は反応しちまったのである。 好きだよ 好きだよ 好きだよ の連続攻撃に至った訳は、ご理解いただけましたでしようか。 その場合ボタンをたたいてください。 |
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さて、改行について。 これは、視覚的効果も相当にあるので、音イッポンヤリのSONGで表現はしにくい。 ましてや表面的な意味の切れ目ではない改行の効果を表現するのは、不可能だ。 その場合は、知らん振りして突っ走るのが、今回の僕の手段だったのだ。 ボサっぽいしさ、ケダルイ振りしてさ。 小舟行での改行の効果は、風景が多重に見えてくることにもある。 この詩は充分に透明水彩画のごとく、現実の風景の内側もしくは外側の景色が、 渾然一体となってたちあがってくるのだが、改行によって、 それはいよいよ決定的となっている。 透明水彩画と、たとえてしまったけれど、ちょっとふさわしくないようだ。 この詩を視覚的に感じるとすれば、街やら人やら動物が浮かぶようにある、 シャガールの絵あたりかなあ。 |
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SONGを作る場合、詩の流れにかんぜんに寄り添って進むのも方法だとは思う。 作者が故人だったりすると、事情で一語一句変えられないケースもあるだろう。 僕の萩原作品への歌でのアプローチは、その反対である。 なかば(その程度の言い方でいいのかっ) 強引にリフレインと、一定のリズムパターンの中に取り込もうというのだ。 不都合は必ずでてくる。 でて来た。 その責任の大半を萩原氏自身に受け持ってもらって、作業を進めてきたのである。 なんか、最近メールの返事が遅いのが気にはなるが・・・。 |
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参考頁 日々のこと42 歌のはなし53 萩原健次郎氏のホームページ |
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