小 舟 行

歌のはなし 曲名 公表作品 作詞者 作曲者
054 小舟行 2004年ライブ
萩原健次郎 及川恒平
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C       F     G7      C
小舟に の  る     揺すられ   て
C       F     G7      C
とおい岸   に     まずきみ   の
    Dm6    A7   Dm7     G7
からだが 漂ちゃ く     してい る
     Dm6   E7     G7       C
ぼくを漂わ     せれば   震えるで  しょ

C       F     G7      C
海を考え てた     なんて  嘘 で
C          F     G7      C
どこかの 市街地の     細い     川を
  Dm6   A7      Dm7     G7   
すごい  スピードで   流された  だけで
  Dm6   E7     G7       C   C7
でもすぐに   海に    辿り つくで しょ

F      ÷        C    ÷
小鳥のさ えずり のよう な
F     ÷          C    ÷
舌を  湿らせた   言い訳は 
   Am     Dm7       G7    ÷
好きだよ  好きだよ   好きだよ


C       F     G7      C
ともに  裏返る  も  互いの  嘘で
C       F     G7      C
昨日は  きみ     舟には  のらず 
   Dm6    A7    Dm7     G7
スクランブル交差点で    ただうつむい て
 Dm6     E7     G7      C
じっと  立ち止まって    いた   だろ う

C       F    G7       C
デパート  の     7階あたりに ある
C     F     G7      C
時計    を     見て  い  た
   Dm6     A7    Dm7  G7
ひっぱって  紐で くくって  小舟   に 
 Dm6   E7     G7       C   C7
ごろり    転がしても  ほほ えんで る  

F        ÷       C    ÷
不思議に  おぼれた  時計を
F      ÷          C    ÷
はずして ガムを捨てて  海 を
  Am     Dm7      G7   ÷
忘れて   忘れて    忘れて


C        F    G7       C
街路の川で  も     いいから小舟 を
C        F     G7       C
念じてスクランブルの   川でもいいか ら
    Dm6   A7    Dm7     G7
ごろごろと   川ぞこを    誰にも 見られず
  Dm6     E7      G7     C    C7
まひるの  水でからだを   膨らませ  て

F      ÷        C    ÷
小鳥のさ えずり のよう な
F     ÷          C    ÷
舌を  湿らせた   言い訳は 
   Am      Dm7      G7    ÷
好きだよ  好きだよ   好きだよ


 前回の歌のはなしが好評につき、連続掲載します。
♪なんて、うーそーでー♪
なんだかんだの批判を食らう前に、書くだけ書いておこうという、
見えすいたこんたんなのであった。
 
 萩原作品は水のようなもので、どんな器にもおさまる。
だから巨大ダムがあるとしたら、その形と規模になってしまうし、
僕というコップでも飲むことはできる、ともかく。

実は、前回の歌のはなしに「冬の池」を掲載するとの許可を、
とうの萩原さんのからもらいそびれてしまった。
だから当然その件について連絡はしていない。
だから当然非難される心配がない。
つまり今のうちだから書いておけることもあるやもしれぬ。

萩原健次郎詩篇集
『菫の粉末』より『小舟行』


歌『小舟行』
 詩 萩原健次郎 曲 及川恒平


小舟にのる 
揺すられて
とおい岸に、まずきみの
身体が 漂着 している。

ぼくを漂わせれば
震えるでしょ

「海をかんがえていた」
なんて嘘で

どこかの市街地の、細い川を
すごいスピードで流されていただけで。

「でもすぐに 海にたどり つくでしょ」

小鳥のさえずりのような
舌を湿らせた言い訳は好きだよ。

ともに裏返る 
というのも、互いの嘘で 

きのうは、きみ
舟には のらず 
スクランブル交差点で ただうつむいて
じっと立ち止まって いただろ

「デパートの 7階あたりにある時計を見ていた」

ひっぱって 
紐でくくって 小舟にごろり 
転がしても 
      微笑んでる
不思議に
溺れた

時計をはずして
ガムを捨てて 
        海を忘れて
街路の川でもいいから
小舟を念じて

スクランブルの 川でも いいから

ごろごろと
川の底を
誰にも
見られずに 

真昼の水で
身体を膨らませて

小舟に のる     揺すられて
とおい岸に     まずきみの

からだが 漂ちゃ く している
ぼくを漂わせれば  震えるでしょ

海を考えてた     なんて嘘で
どこかの市街地の  細い川を

すごいスピードで  流された だけで
でもすぐに 海に   辿り つくでしょ


小鳥のさえずりのような
舌を湿らせた言い訳は 
好きだよ 
好きだよ   
好きだよ


ともに裏返る  も互いの嘘で
昨日はきみ    舟にはのらず 

スクランブル交差点で    ただうつむい て
じっと立ち止まって   いただろ う

デパートの     7階 あたりに
ある時計 を    見て いた

ひっぱって 紐で くくって 小舟に 
ごろり 転がしても  ほほえんでる  


不思議に おぼれた  時計を
はずして ガムを捨てて  海を
忘れて   
忘れて    
忘れて


街路の川で も    いいから小舟を
念じてスクランブルの 川でもいいから

ごろごろと  川ぞこを    誰にも見られず
まひるの水で   からだを   膨らませて


小鳥のさえずり のような
舌を湿らせた  言い訳は 
好きだよ  
好きだよ   
好きだよ
 『小舟行』詩は、読んでいただくと、すっごい内容だと、すぐに判っていただける。
 こういう言葉に出会うと、僕はどうしても抵抗したくなってしまう。
 お化け屋敷などで、怖さのあまりついつい笑っているオナゴのような心境だ。

 今春、京都での萩原さんとのジョイント・ライブのとき、僕はこれを歌った。
聞いた萩原さんは、戸惑いの表情を隠せなかった。
『耳の戸惑い』であった。
 僕なりに気に入っていた自作曲だったこともあり、かなりウタッテいたと思う。
で、あればあるほど、ちょっとばかり、ボサノバの入った軽いのりのせいもあるが、
詩の内容を伝えてる意志があるのかと、
一部の人は作曲者および歌手に問いただしたくなったかも知れない。
作曲者も僕です。

 歌を作り歌う醍醐味は、こんなうらぎりにもあるのだ、と今のうちに言っておこう。
今後きっと使いにくくなるるので・・・。
 今回の詩をちょい分析。
小舟行、は改行のめまぐるしさ、そしてけた外れの段落がなやましい。
 そして、内容のワリには軽快というか、スガルイ言い回しもポイントだ。
たとえば、
 ふるえるでしょ
「海を考えていた」なんて嘘で、
すごいスピードで、流されていただけで。
「でもすぐに、海にたどりつくでしょ
などなどである。
 ようするにこんなんに、僕は反応しちまったのである。

好きだよ 好きだよ 好きだよ
の連続攻撃に至った訳は、ご理解いただけましたでしようか。
その場合ボタンをたたいてください。
 さて、改行について。
これは、視覚的効果も相当にあるので、音イッポンヤリのSONGで表現はしにくい。
ましてや表面的な意味の切れ目ではない改行の効果を表現するのは、不可能だ。
その場合は、知らん振りして突っ走るのが、今回の僕の手段だったのだ。
 ボサっぽいしさ、ケダルイ振りしてさ。

 小舟行での改行の効果は、風景が多重に見えてくることにもある。
この詩は充分に透明水彩画のごとく、現実の風景の内側もしくは外側の景色が、
渾然一体となってたちあがってくるのだが、改行によって、
それはいよいよ決定的となっている。
 透明水彩画と、たとえてしまったけれど、ちょっとふさわしくないようだ。
この詩を視覚的に感じるとすれば、街やら人やら動物が浮かぶようにある、
シャガールの絵あたりかなあ。
 SONGを作る場合、詩の流れにかんぜんに寄り添って進むのも方法だとは思う。
作者が故人だったりすると、事情で一語一句変えられないケースもあるだろう。
 僕の萩原作品への歌でのアプローチは、その反対である。

 なかば(その程度の言い方でいいのかっ)
強引にリフレインと、一定のリズムパターンの中に取り込もうというのだ。
 不都合は必ずでてくる。
でて来た。
 その責任の大半を萩原氏自身に受け持ってもらって、作業を進めてきたのである。
なんか、最近メールの返事が遅いのが気にはなるが・・・。
参考頁

日々のこと42


歌のはなし53

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