「街と飛行船」歌詞改変の問題PARTV(前)

田邉俊一郎 2005/11/10  

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序 

 恒平さん・おけいさんへのI氏からのメールに端を発した「街と飛行船」歌詞改変の問題に関して調査を開始して以来、多数の資料を閲覧してきている。
そこで、改めて、ここまでに直接参照した資料類を提示しておくこととする。

   資料1  別役実第三戯曲集『そよそよ族の叛乱』(1971/07/31初版・三一書房)

   資料2  「やさしいにっぽん人」(1971/03公開・東陽一・東プロダクション)

   資料3  テクニクス4チャンネルステレオ拡販用非売品LP【テクニクス盤】

   資料4  「唄の市 第1集」(1972/01・エレックレコード)

   資料5 資料4 所収、牧村憲一氏(六文銭ファクトリー)執筆記事

   資料6  「六文銭メモリアル」(1972/12・ベルウッド 発売:キングレコード)

   資料7  『FOLK NOW』(1973/SPRING号)小室等×橋本隆「ぼくたちの心の歌」

   資料8   NHK-FM「六文銭・フォーシーズン」(1972/10放送)音源

   資料9   小室等ファースト「私は月にはゆかないだろう」(1971/05・キング)
        【サンプル盤 】

   資料10 「青あざのスナフキン」(朱川湊人/『文芸ポスト』2004/夏・第25号)

   資料11 及川恒平HP/歌のはなし・特別編


T

 「街と飛行船」の歌詞を巡る変遷は、おおよそ4期に分けて見ることができる。
以下、上記の資料をもとに略述してゆこう。

1

 「街と飛行船」は、別役実氏の戯曲『街と飛行船』(1970/下半期初演・劇団青俳第27回公演・末木利文演出・紀伊國屋ホール)の劇中歌(第5の歌)であるが、
初演は「小室等・9月16日のコンサート」(1970/09/16)第1部・3曲目。
極めて即興性の強い形で演奏された〔資料5〕。
この時点では、別役氏の原詩に忠実な歌詞であったと推測される。
   
   じいさんもばあさんも/しわだらけの顔に/お白粉をベタベタ塗って/踊ろう

   こじきもドロボーも/ボロボロの衣装に/造花をいっぱいくっつけて/歌おう

   まま子もみなし児も/涙で汚れた顔に/しあわせのお面をつけて/笑おう
    
   リウマチも小児マヒも/曲ったそえ木に/リボンで飾りをつけて/走ろう

    踊って歌って笑って走れば…
                                             〔資料1〕

2 

「六文銭」として、映画「やさしいにっぽん人」に出演、劇中歌として「街と飛行船」
を演奏(43分05秒―44分08秒)。「警察官採用」「何も生まれない 暴力と対決する」と
いったポスターを背景に挿入され、“反体制の象徴”といった解釈を感じさせられる。
公開時期から逆算すると、第5次六文銭(小室・及川・入川捷・若松弘正・小室のり子:敬称略)での出演と見られるが、1971年春(4月以前)入川・若松・小室のり子が脱退(牧野氏は、前後してマネージャーとして参加)するので、撮影(録音)自体は1970年9月16日―1971年3月に行われたとみられる〔資料2〕。

尚、これは、上記の“幻の”スタジオ録音盤以外に存在する唯一のスタジオ録音音源である。
映画の劇中歌ということで、当初副次的に扱っていたが、「街と飛行船」の履歴を辿る上で、
ひとつのポイントと言えそうである。歌詞は、別役氏原詩に忠実である。

3 

1971年4月第7次六文銭(小室・及川・橋本良一・原茂)として活動、1971年5月
愛知・岡崎労音のステージ以降四角佳子が参加、第8次六文銭がスタートする。

U

1

 「街と飛行船」の録音に際しての事前の倫理規定委員会との打ち合わせにより
「リウマチ/小児マヒ」の部分が不適切との指摘がなされる。
そこで小室氏は、別役氏に
その旨を相談、別役氏の手により歌詞の改変が行われた〔資料7〕。

   爺さんも婆さんも/しわだらけの顔に/お白粉をベタベタぬって/踊ろう
   やくざもごくつぶしも/ぶしょうひげの先に/ごはんつぶをぶらさげて/歌おう
   まま子もみなし児も/涙で汚れた顔に/しあわせのお面をつけて/笑おう

   乞食も泥棒も/ボロボロの衣装に/造花をいっぱいくっつけて/はねよう

   踊って歌って笑ってはねれば…
                                             〔資料9〕

2

別役氏本人の手に拠るからであろう、語句にとどまらない大幅な改変が加えられて
いる。これを受けて、小室等ファースト「私は月にはゆかないだろう」に所収すべく
スタジオ録音・アルバム制作が行われた〔資料9〕。
ところが、発売を前に、これに加えて「まま子/みなし児」が不適切との指摘がなされ、結果的に
     
     @歌詞カード全体にシールを貼付

     AA面2曲目に入っていた「街と飛行船」はカット

     ※カットされた音源はそのまま【テクニクス盤】に転用〔資料3〕

という形で、同アルバムは発売された。最終的に、この歌詞がステージで披露されることは
なかった(2005/08/27「ぼくの夏休み」コンサート時に於ける、恒平さんの口頭による
ご教示)。
一連の流れは【サンプル盤】の出現により証明されたものである。

3

 周知の通り、同アルバムには「ゲンシバクダンの歌」に起因すると思われる発禁問題
が生じている(小島武氏年譜/「シングルス六文銭」・1974/06・ベルウッド)。或いは、
「街と飛行船」のカットも、何らかの関連があるのかもしれない。
一連の「放送禁止歌」
の問題との関係は、改めて検証する必要があるだろう(参考文献:『放送禁止歌』森達也氏・2000/07初版・解放社出版)。

4 
 「ワレワレ六文銭の代表的レパートリーであり、そのうえ代表的な放送禁止歌である。
ただし、この放送禁止ということについては、誰一人ボクが言ったと表明する個人も団体も
ないという。ソラオソロシイ。」
という恒平さんのコメントが重い(HP・日々のこと40)。
 
 5 

 1971年7月31日、別役氏の第三戯曲集『そよそよ族の叛乱』が出版される〔資料1〕
ので、別役氏の作品としては、この時点で「定本化」したと言えよう。
本節―1に記したような大胆な改変も、「定本化」以前ゆえ可能であったと思われる。
以降、語句の小異は内包しつつも、基本的に別役原詩に忠実な形に戻るのは、
ここに起因するのかもしれない。
                                                   続く

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