「街と飛行船」歌詞改変の問題 PARTU

田邉俊一郎 2005/9/27 tue 

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1 始めに、前稿執筆後に増補された資料を列記しておく。

資料 (壱) 

「まるで六文銭のように」で最近歌っているものが、オリジナルということである。
(恒平さんHP・歌のはなし・2005/09/04)

資料 (弐)

 『FOLK NOW』(1973/SPRING号) 「ぼくたちの心の歌」小室等×橋本隆
  (川瀬千恵子様ご提供)

資料 (参) 

「唄の市 第1集」(1972/01/25・エレック)所収
牧村憲一氏(六文銭ファクトリー)「去年のちょっとしたお話」
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2 資料(弐)を抜粋し、小室氏自身により語られる「街と飛行船」の歌詞の周辺を
   検証しておきたい。

 a) 実は「街と飛行船」というのは、*キングから出したにも関わらず、*エレック
   のライヴ盤の中にも出てくるんですよ。(P18)

   * 「キングから出した…」:「六文銭メモリアル」(1972/10 ・ベルウッド)
    発売はキングレコード

   * 「エレックのライヴ盤」:資料(参)
 
 b) 実は、倫理規定の委員会に前もって聞いたの。
   そしたら、その…リュウマチと小児マヒはいけないっていうわけですよ。
   …リュウマチも小児マヒも曲がった添え 木にリボンで飾りをつけて走ろう…。
   (中略)
   作詞の別役実さんに言ったら、もう笑っちゃってですね、
   「でもいいよ、変えるよ」とか言って、違う歌詞にしたんで す。

   *で、ヤクザとかゴクツブシなんていうのが出てきてですね。
    (笑い)変えたんです。

   *そしてレコードにして発売したんです。
   そしたら、*その前の二番で歌ってる、ママコとみなしごがいけないってきたんですよ。
   (P19)

    * 「ヤクザとかゴクツブシ…」:この歌詞の存在は、
    I氏のメールで次のように記述されている。
  
   “「やくざもごくつぶしも ぶしょうひげの先にごはんつぶをぶらさげて歌おう、

    まま子もみなし児も 涙で汚れた顔にしあわせのお面つけて笑おう」

   というオリジナルの歌詞で歌われるスタジオ録音バージョンが確かに存在する…
   テクニクスの4チャンネルステレオのデモンストレーション用非売品LPです。

   元々、「小室等ファースト」に入るはずだったが、 カットされ、…”

   但し、上掲の歌詞をI氏が「オリジナル」とされる根拠は不明。
   「まる六」Ver.との関連、更に別役詩との関連はどうなるか。
    もっとも、小室氏の発言から すれば、
     「テクニクス盤」の有する「ヤクザ・ゴクツブシ」の歌詞は
     「リウマチ・小児マヒ」の改変であるから、
   「テクニクス盤」を「オリジナル」とは呼称し得なくなるが。
   これは、「まる六」Ver.が「オリジナル」か否かとは 別問題である。
   
   ※I氏のメールに言う「オリジナル」という語が、「原初の」ではなく「他とは
   異なる固有の」の意味であるならば、本論の構成も若干変化する。

   ※本稿では「街と飛行船」の初演を起点と考えて「別役詩」と呼称し、
    「別役原詩」という表現はあえて用いない。

* 「そしてレコードにして…」:@これが「テクニクス盤」を指すのか、或い  
    は「六文銭メモリアル」を指すのかが不明。
    厳密には「テクニクス盤」は非買品だが、「ヤクザ・ゴクツブシ」を本文にしていると
    推測されるのは「テクニクス盤」のみである。
    ということは、I氏のメールに言うところの 「70年ごろ」は、
    おおよそ「72年頃」と見なければならなくなる。
   但し、「この歌詞は結局採用されなかった」とのこと。

    (2005/08/27「ぼくの夏休み」コンサート時に於ける、恒平さんの口頭によるご教示)。
    因みに、資料(弐)所収「街と飛行船」楽譜ページ(P53)の記事に
     「LP『六文銭メモリアル』の制作後に発禁が決まったので、
    このLPの「街と飛行船」の部分には“ピー”という音だけが入っている」と記されている。
     
     同楽譜では、

     爺さん・婆さん…踊ろう/乞食・ドロボー…歌おう
     まま子・みなしご…笑おう/リューマチ・小児マヒ…走ろう 

    となっている。

    その他、A小室氏の発言からすると、「リューマチ・小児マヒ」の部分が不適切として
    「ヤクザ・ゴクツブシ」に改変されたと理解されるが、I氏の引用から推測する限り、
    異なる印象を受ける。
    といった問題も残る。

     * 「その前の二番で歌っている…」:小室氏の発言からすると、
     「ママコ・みなしご」は「ヤクザ・ゴクヅブシ」の前に位置するが、
    I氏のメールでは(抜粋ではあるが)逆になっている。
   この齟齬をどう考えるか。前項?の問題も含め、
     やはり「テクニクス盤」の特異性が顕著である。
   歌詞の変化を考察する上で、「テクニクス盤」は不可避の存在である。
    抜粋ではなく、全文を対比する必要がある。

   ※ PARTTにも触れたが、I氏のメールに
   “もう30年以上も前のNHK-FM「六文銭・フォーシーズンズ」では
    そのままの歌詞で流れていたのにCDになったライブ音源ではノイズ処理されている”
     とあるが、「そのままの歌詞」とは上掲の歌詞であるのか否か。
     (極めて困難ではあるが、本来なら同番組をチェックすべきところである。)

     NHK-FMのセミドキュメンタリー「六文銭・フォーシーズンズ」の放送は
      1972/10、遅れること2ヶ月、同/12に「六文銭メモリアル」発売となる。
      事実上「発禁」となったのは「六文銭メモリアル」制作後であるから、
      「六文銭・フォーシーズンズ」の時点で、I氏メールに言うところの
    「オリジナルの歌詞」で歌われた可能性は大である。
    やはり「オリジナルの歌詞」が「別役詩」・「ヤクザ・ゴクツブシ」の歌詞、
     何れであるかが問題となるが、
    この点に関しては、後述するように、「別役詩」の可能性が高いのではないか、と思われる。
     困難ではあるけれども、戯曲が持つ「場」の問題―流動性・一回性―をも
     勘案した上で、別役詩との関連も考察せねばならないだろう。
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 3 「街と飛行船」という楽曲の成り立ちを考察する上で看過できないのが、資料(参)である。
   以下、全文を引用し、現存する資料から検証を試みる。

   同年(1970年…田邉注)秋の*「小室等・9月16日のコンサート」で
   第一部の3曲目に小室等が照れながら、*「実は未だ全部作っていないので
   青俳の人には申し訳ないのですが…ゴメンナサイすぐ作りますが…
   エーッ『街と飛行船』(別役実・作)の第5の歌とでもつけておきましょう
   か…」といって唄い出した歌が…『街と飛行船』でした。
   多少力みながら、あるいはちょっと歌詞につまりながら唄い終わった時、
    拍手を送った僕を を含めた七百人余りの人たちに
   *これが発売禁止になると思った人は誰もいなかったでしょう。
   
   * 「実は未だ全部…」:小室氏の発言(牧村氏の記述)を素直に理解すると、
     「小室等・9月16日のコンサート」の中で、
     極めて即興性の強い形で演奏されたことが窺える。
     「街と飛行船」は、別役実氏の戯曲『街と飛行船』の劇中歌
    (その5・第六の歌)である(初演は1970/下半期・劇団青俳第27回公演『街と飛行船』
    ・末木利文演出・紀伊國屋ホール)が、公演時に劇中歌が完成していない、
     という状況は考えられないので、同公演は「小室等・9月16日のコンサート」
     の直後と見てよいだろう
     (公演日時は、劇団青俳のHP等確認したが、現時点では不明)。

   ※ 1970年に上演された別役作品は、上演順に

   @『スパイものがたり』(演劇企画集団66/古林逸朗演出

   A『ポンコツ車と五人の紳士』(群像座/飯山代山演出)

   B『不思議の国のアリス』(俳優小劇場/早野寿郎演出)

   C『アイ・アム・アリス』(俳優小劇場/早野寿郎演出)

   D『黄色いパラソルと黒いコーモリ傘』(演劇企画集団66/古林逸朗演出)
    そして『街と飛行船』の計6作品であるが、『街と飛行船』を1970年下半期  
     と位置づけても、年譜の上での矛盾は生じない。

   「街と飛行船」はこのあと「唄の市 第1集」(1971/01)に収録。
   その後、 別役実第三戯曲集『そよそよ族の反乱』(1971/07・初版・三一書房)
   に収録される。
    やはり『そよそよ族の反乱』は、いわゆる「定本」と呼ぶべきものであろう
    ―別役詩としては、この時点で定着したと考える―。

 * 「街と飛行船」発禁の経緯については、前述・資料?に於ける小室氏の発言に
     集約されよう。
     森達也氏は「歌詞の中の『まま子』『みなし子』という言葉のために、
     (中略)
     Aランクの放送禁止歌に指定されたと噂された。」と記している
     (『放送禁止歌』2000/07初版・解放出版社・P20)。
    この曲に関して、恒平さん は「ワレワレ六文銭の代表的なレパートリーであり、
    そのうえ代表的な放送禁止歌である。
    ただし、この放送禁止ということについては、
    誰一人ボクが言ったと表明する個人も団体もないという。ソラオソロシイ。」と述べる
     (恒平さんHP・日々のこと40)。

      尚、前述・I氏のメールはこの曲に関して「元々、『小室等ファースト』に
    入るはずだったが、カットされ、歌詞カードには『街と飛行船』の歌詞全体
     にシールを貼って隠していた」と記す。
     やはりこの時点で、
     「街と飛行船」唯一のスタジオ録音盤が制作されていたのだろうか。
    但し、前述したように「ヤクザ・ゴクツブシ」という歌詞から考察するに
    「テクニクス盤」の登場は1972年頃と思われるのであり、
     「スタジオ録音盤=テクニクス盤」と看做せるか否か、は慎重にならざるを得ない。

     周知の通り、「小室等ファースト・私は月にはゆかないだろう」
    (1971/05/10・ベルウッド)には「ゲンシバクダンの歌」に起因すると思われる
    発禁問題が生じている(小島武氏年譜 ・「シングルス六文銭」・
    1974/06/25・ベルウッド)ので、「街と飛行船」のカットも、
     或いは関連があるのだろうか。

     ※ 1971/1-3頃、資料(参)の執筆者・牧村憲一氏がマネージャーとして参加
    (小島氏年譜)。「第7次六文銭」(小室等・及川恒平・原茂・橋本良一)の頃である。
     資料(参)の信憑性は極めて高いと思われる。
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4  ここで現有資料を「六文銭」の動向に重ねて略年譜を作成し、「街と飛行船」という
  楽曲が、成り立つに際して辿ったと思われる道筋を確認しておきたい。(表中、敬称略)
   

  1970/09/16 小室等・9月16日のコンサート

    *「街と飛行船」が初めて演奏される。(資料(参))
     
     /下半期    劇団青俳第27回公演「街と飛行船」(紀伊國屋ホール)
 
    1971/03     「六文銭」、映画「やさしいにっぽん人」(東プロダクション・
     東陽一監督)出演。「街と飛行船」が劇中歌となる。

     /01-03     この頃、牧野憲一、マネージャーとして「第7次六文銭」
        に参加。(資料(参))
  
     (1970/09-1971/03 スタジオ録音盤、この頃までに制作されたか。
    それが「テクニクス盤」と同一であるか否かは、要検討。)
   
    /05/10     小室等ファーストアルバム「私は月にはゆかないだろう」発売。    

    「ゲンシバクダンの歌」(作詞:別役実)を巡る発禁問題。

   *収録されるはずだった「街と飛行船」スタジオ録音盤は
    結果的にカットとなる。同発禁問題との関連は現時点では不明。
    
    (/05      愛知・岡崎労音のステージ以降四角佳子加入、「第8次六文銭」。)
     
    /07/31 別役実第三戯曲集『そよそよ族の反乱』初版(三一書房)発売。
*別役詩としては、この時点で「定本化」される。

     /10/18 「六文銭」「唄の市 旗揚げコンサート」出演(東横劇場)。

    1972/01/25 「唄の市 第1集」(エレック)発売(資料(参))。

   /06/23     「六文銭」解散(目黒杉野講堂)
   
   /07/07-08    ※最後のライブ盤録音(厚生年金大ホール)。

    /10       セミドキュメンタリー「六文銭・フォーシーズンズ」(NHK-FM) 放送。

   *別役詩で歌われた可能性が大きい。
   
      【この頃、倫理規定委員会との関わりに於いて、「街と飛行船」の歌詞・
   「小児マヒ・リュウマチ」が「ヤクザ・ゴクツブシ」に改変される
    (改変は、別役氏の手による)。その後、「ままこ・みなしご」が
    更なるクレーム対象となる。結果的に、「ヤクザ・ゴクツブシ」の歌詞は不採用となる。】

   *「テクニクス盤」のみが「ヤクザ・ゴクツブシ」の歌詞を有するとするならば、
    「テクニクス盤」の出現はこの頃か。

     /12 ※「六文銭メモリアル」発売。

     *発売直前に発禁となったため、歌詞カードでは「街と飛行船」の歌詞全体に
   シールを貼って隠していたという(I氏メール)。
     但し、田邉所有盤は、「街と飛行船」の歌詞自体は存在し、
     当該箇所に伏字処理がなされている。

    1973/上半期    『FOLK NOW』・SPRING号(資料(弐))。

   * 所収楽譜が、「踊って/歌って/笑って/はねれば」と
    「テクニクス盤」に近い形であることは注目される(P53)
   が、同楽譜が1973当時のもの、という確証はない。
   何れにせよ、「テクニクス盤」全文との対比が不可避である。
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5 最後に、「まる六」Ver.が「オリジナル」であるとする情報(資料(壱))も考慮しつつ、
  今後への課題を列記しておく。

    @ a現行「まる六」Ver.

      b小室等ファースト「私は月にはゆかないだろう」用音源

     c「テクニクス盤」収録音源

     の三者は如何なる関係を有するかは、現時点では不明。
    「音源b=音源cなのか否か」の確認が急務である。
    何れにせよ、「テクニクス盤」は、唯一のスタジオ録音盤、という意味に於いても、
    資料的価値は極めて高い。

   A 音源bの歌詞は別役詩と同一か否か(→「唄の市 第1集」と同一か)。

   B 音源bの録音年時はいつ頃か。

   C 「音源b=音源c」であるならば、各々の録音(制作)年時にはどの位の
    開きがあるのか(→音源b・音源cが別音源である可能性)

   D 「テクニクス盤」の公開時期は、1972/10−11頃か否か。「六文銭メモリアル」
    に先行するはずだが、現時点で詳細は不明。

   E 「街と飛行船」が音源bの発売に際してカットされた経緯は何か)(?発禁
    等の外的要因か、若しくはレコード制作上等の内的要因か)。

   F 現時点での方向性として、「オリジナル」という意味では、まずは「まる六
    Ver./別役詩」相互の比較となるのではないか。
   但し、再三述べたように 「テクニクス盤」の歌詞全文の調査、
    さらにはその資料的価値・位置づけの 検討が、不可欠となろう。

   G 最終的には、本稿で推測した、楽曲「街と飛行船」の成り立ちと「まる六」
    Ver.の成り立ちとを、どのように関連づけるかである。
     「まる六」Ver.が「オリジナル」と仮定すると、「まる六」Ver.は

     ア)別役氏による改変か、若しくは小室氏によるか。

      イ)改変の時期はいつ頃か。

       →「小室等9月16日のコンサート」ではどのような歌詞であったか。
         少なくとも、「唄の市 旗揚げコンサート」の時点では、「まる六」  
         Ver.とは相違する。

      ウ)ステージでの初演はいつ頃か。

      →「まる六」としての初演は、
       及川恒平イギリス館コンサートVol.11
      「僕はそのころ横浜を見つけた」(2002/10/21)
      このコンサートで「まる六」再結成。それ以前に小室氏が
      ソロで歌っている可能性も。

      エ)何故歌詞カードに残っていないのか(資料?所収、楽譜に於いても
        「まる六」Ver.にはなっていない)。

      オ)別役詩に先行すると見てよいのか否か。戯曲としての《流動性》を
        勘案すれば、「並行」という観点も、或いは必要かもしれない。「街と
        飛行船」初演と第三戯曲集とが相違する場合もあり得ようが、その
        可能性は稀少である。

      カ)表現論的には「踊って/歌って/笑って/走れば」が最も整合性を認める
        が、“演劇”特有の「場」の問題を勘案した時、どこまで“整合性”を
        重視すべきか、という問題は残る。

 【後記】 

本稿では、PARTT執筆後に入手した資料、特に『FOLK NOW』(1973/SPRING号)
に掲載された小室等氏・橋本隆氏の対談(資料(弐))・「唄の市 第1集」(1972/01)
に所収された牧村憲一氏(六文銭ファクトリー)の記事を中心に置き、
PARTTの諸資料と重ね合わせ、「街と飛行船」という楽曲の成り立ちの経緯に関して、
可能な限りの推測を試みた。

 現有資料が限られているため、結果として「ヤクザ・ゴクツブシ」の歌詞の周辺の問題(外     部徴証)に絞ることとなった。「テクニクス盤」の歌詞全文 と他資料との対比なしでは、
推測の上に推測を重ねる結果になると考えたからである。
仮に本稿の仮説に立った場合、各資料相互の歌詞の異同をどう考えるか
(歌詞の質的変化、等)は次稿の課題である。
     
当然、「まる六」Ver.をオリジナルと考えるに際して、
他資料との間に生じるさまざまな問題にも、言及し得ていない。
或いは、「テクニクス盤」の歌詞、ひいては小室氏の証言が
すべてを一瞬に解決するのかもしれない。
恒平さんは言う、「もともとフォークソングなんて、他の分野の歌曲とは違い、
移り変わっていくのが、ふつーのことなのだろう」(恒平さんHP・歌のはなし・09/17)。
特に「街と飛行船」には「劇中歌」という側面があり、「流動的」な要素はとても強いと思われる。
   
 だが、別役詩・「テクニクス盤」・「まる六」Ver.三者の成り立ちを追跡することは、
「演劇」と「音楽」の関係を見る上で、更には“「六文銭」の音楽”をより深く知る上で、
大きな意味があると考える。
今暫らく拘ってみようと思う。

  「テクニクス盤」の歌詞全文、或いは小室氏の証言によって、
本稿は大幅な修正を余儀なくされるかもしれない。
が、それは本望である。
今後の考察の基盤を作る、という意味で、ここまでの考えを記したが、
新資料が加わり次第、 
増補・加筆・修正する所存である。

                                       2005/9/27 tue 田邉俊一郎

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