歌のはなし 曲名 公表作品 作詞者 作曲者
002 私の家 キングサーモンのいる島(六文銭)、
引き潮(及川)
及川恒平 原茂


大きな、以下のコードが、オリジナルは違うらしい。先日、坂崎氏にも指摘を受けた。なんでもよく知っている! 〔前奏〕  G   ≒   ≒   ≒   
  

なだらかな   坂道を   車が   登って行く
 G/GΔ Am     D/C  Bm/D7 
坂の   下  には    私の 家がある
  CΔ       Bm/Am    D7     ≒ 
大きな木の葉が   空を隠している

  
  G/GΔ   Am     D/C    Bm/D7  
あたたかい  風が       車の うしろで吹く
 G/GΔ Am     D/C  Bm/D7 
坂の   下  には    私の 家がある
  CΔ       Bm/Am    D7     ≒ 
静かな昼下がり  誰かの声がする 


Em           Am  
 君が抱えている 絵の中の
Em            Am/Am・E7 
 君が描いた 慎しい 絵の中の  

 
  A/AΔ  Bm   E/D   C♯m/E7 
さわやかな 春が   通り過ぎてゆく
  A/AΔ Bm   E/D  C♯m/E7 
坂の  下  には  私の 家がある
 DΔ       C#m/Bm  E7   ≒ 
大きな木の葉が 空を隠している

A  ≒   ≒   ≒  



 陳腐な言い方なのは承知のつもりだけれど、
この歌は、ぼくの青春時代を代表するものと言ってしまいたい。
青春なんてドロドロしていて云々、もわからないわけではないが、
そこらあたりに立っている看板ていどの意味での「青春」である。
そこらあたりの看板だって、あんたの青春よりふかい、と言われればすぐ、あやまるけれど…

 ほかにも、この時期に書いた歌はあるが、ほんのりとでも色づいている青春、といえば、
ぼくの書いた中ではこの曲がそれだろう。
しかしそれが、どのあたりから発散されているのか、
ここだと自分では指摘できず、おもしろがっている。


 この歌ができた日を思い出してみよう。
いつものように原の家で、二人でゴロゴロしていたのだった。
原のメロディが先だったかもしれない。
ギターをひいたり、レコードを聞いたり、そして他愛もない話でもしながらだっただろう。
実際、その部屋がうすぐらくなるほどの木の葉が、窓をおおっていたことを思い出す。
そして一方には、当時デビューして間もないジョニ・ミッチェルの、
レコードジャケットの絵柄が頭の中にあった。

 その後、人前で歌うことになったこの歌だけど、ともかく、
ただその場の二人だけが満足するためのものだった。
その傾向が強いというより、まったくそのとおりなのだ。


 そして、この歌の成立は、原茂というひとの生き方に負うところも少なくない。
彼はこれだけの曲を残しながら、ついに作曲家にならなかった。
彼の音楽の原動力は、当時のアメリカの西海岸を席捲した、
いわゆる「ウェストコースト・サウンド」への強い憧れだったと言える。
もし職業作曲家になるなら、「アマイ」と一刀両断されるはずの
その「あこがれ」のみの作曲家だったのだ。
ぼくは幸運にも彼の影響をたくさん受けとることができた。

その「すてきな」アマチュアリズムは、この歌を聴いてもらえば、わ・か・る。  



夢眠のフォーク畑14『私の家』へ 


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