夢眠のフォーク畑 014
私 の 家
フォーク畑表紙へ            ホームへ

 英国館でのコンサートが終わると、ボクは石川町駅に向かう。
外人墓地の脇の、あの妙に間延びした階段の坂を下りていくのだけれど、
条件反射のようにあの歌が浮かんでくる。  
    
♪なだらかな坂道を〜。

どうもボクだけじゃないみたいだ。
あの歌を口ずさみながら歩いている人を、ボクは少なくとも2人は知っている。
 話題変わって・・・
坂をめぐるボクの心象風景とは、たとえば、こんな具合だ。

 ……小学校からの10分ほどの帰り道の最後の200メートルをボクらは、
心臓破りの丘と呼んでいた。
なんだか知らないけど、マラソン中継でそう言っていたし、なんとなく格好いいからだ。
T字路を曲がった所、坂の一番下にSさんチ。
彼女の「バイバイ」を合図に、ボクとK君はダッシュする。
ほぼ100メートルでボクんチ。
ボクを追い越し、ランドセルを揺らしながらK君はさらに駆け上る。
80メートルほどで振り返り、右手を挙げて「じゃーなー」と叫ぶ。
門の外で見ているSさんも手を振る……。

 ならば、だ。
ボクが「♪坂の途中に私の家がある」と歌ったところで、
それは間違いじゃないだろう。
作者は憮然とするかもしれないが、自分のイメージに目をつぶり原詩どおりに歌うよりも、
こっちのほうが歌も幸せなんじゃないかと思う。
ま、ボクに歌われること自体は不幸せではあるけれど、思わず知らず、
口をついて出てしまうくらいボクの内に入っているってのは、なかなかのもんだ。
 民謡を調べると、なんだか似たような節(ふし)やら文句が出てくることがある。
かと思えば同じ歌のはずなのに、微妙に違っていたりもする。
これはすなわち、聴いてるヤツが勝手に覚えたんじゃあるまいか。
中にはボクみたいに、確信犯的に作り変えたってのもありそうだ。
で、自分の子や孫に「これこそが本物だ」と教え込む。
だから、SさんちとK君チとボクんちで、微妙に違い、
微妙に似ている3種類の歌が存在するのだ。
あまりに変わってしまうと、原作者の著作権も危うくなるが、
しかし、民謡作者にとって「詠み人しらず」ってのは、ある意味、勲章ですよ。

 それが「民謡の活力」なんだ、と思う。
変えてまで歌いたいほど、気に入ったのだ。
そうじゃない歌なんて、とっくの昔に消えてしまったはずだ。
楽譜どおりに歌わにゃならんなんていうのは、
おそらく、明治以来の音楽教育の弊害であって、
あるいは、保存会やら家元やらの深謀遠慮の結果なんであって、
そりゃまあ、民謡を現代に伝えてきた功績は認めるにしても、
冷凍保存してしまうと水気がなくなってしまうのだよ。
 そういえば……。あの小学生3人組から10数年後。
 ある日の産院にKがいた。
ガラスで仕切られた新生児室の前の廊下で、彼が「これか」とつぶやいた。

 「♪コンニチワ赤ちゃん」

と歌いながら近寄っていたボクの後を引き取ってKが歌った。

「♪私がパパよ」。

 ボクが歌詞の間違いを訂正しなかったのは言うまでもない。
彼のキャラクターからすれば「俺が親父だ」のほうがふさわしいとは思ったが……。
病室で待っていたSさんが、なんだか、まぶしかった。
坂道の家が懐かしかった。

参考・歌のはなし002『私の家』へ
フォーク畑表紙へ              ホームへ

Copyright©2001-2003 Kouhei Oikawa(kohe@music.email.ne.jp)