咲(わら)って

歌のはなし 曲名 公表作品 作詞者 作曲者
078 咲(わら)って ほしのはだ 田中綾 及川恒平
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G    ÷   

G      Am      D7     
氷屋に道を 訊ねて いるうちに 
 Em    D7     G/D7    G    ÷
雨が落ちて 雨が落ちて ひとの喪ははじまった

C        G    C             Em
柘榴熟れる秋の台東区 曲れば見うしなうほそみち
G    ÷    ÷     ÷
雨音と 雨音と 雨音
Em      Bm  Am     D7
三列に ならんで 人びとは 弔う

G         D7 Am         D7  G  ÷
ヒトガヒトヲイタム フシギナコトバキキ ツ ツ

間奏G    Am    D7   Em
G    Am    D7   G  

G      Am      D7     
すねこむらにさやる風の神無月
 Em    D7      G/D7  G    ÷
音は磯の香を連れて来て くるくる まわる

Gm9        ÷    ÷       ÷
なあんにもできないの ないの  の  の
G    Am       D7     
黒服の 七分の袖に もぐりこんで
 Em    D7     G/D7   G    ÷
くるくる くるくる くるくる わらっていた

G         D7 Am        D7  G  ÷
ヒトガヒトヲイタム フシギナコトバキキ ツ ツ


ヒトガヒトヲイタムフシギナコトバキキ ツ ツ←平井弘元歌
 歌が、数コーラスで構成されるのがふつうになったのはいつごろからなのだろう。
数行の固まりが、いくつかあり、それに同様の旋律が積み重ねられるという形式が、
あたりまえになったのは、そう古いことではないだろう。
 定型詩に、旋律をつけるのではない。
単に数行のひとかたまりという以外には、特に決まりがあるわけではない。
 一メロとサビ、などの分け方で、そのひとかたまりは、音楽的に構成されていく。

 今回取り上げた咲(わら)って、は違う。
理由は、もともとが、現代詩として発表されたものというのが大きいが、
もっと、簡単な音楽的な構成もありえただろうか。
それはともかく、僕には、この流れしか考えつかなかった。

 それでも、SONGとしての特徴は残っている。

こおりやに〜

と始まる最初の旋律の形は、その後数度出てくる。
この、モチーフというものを手放したとしたら、
いったいどういう歌になるのか、見当はつかない。
はたして、ふつうに聴くのに耐えうる歌になるのだろうか。
わからない。

 ただし、いまのところ、僕はそんな歌を作る気にはなれないので、
誰かにやってもらいたいな。
 この歌は、僕の詩ではない。
ここにある作者の悲しみは、実感できるわけではない。
つまり、詩という段階で、初めて僕が心動かされ作曲に至ったものだ。
 これは、歌い手である僕の歌を、聴いている方たちとの間にも起きる。
僕が、この詩の作者であってもだ。
心動かされるにしても、ないにしても、僕の歌を通してしかありえないのだから。

 と、言い放っておいて、変な話だが、そう割り切れないことが時には起きる。
今後この歌が、もし独り歩きをするとししたら、つまり、ヒット曲になったとしたら、
僕のライブ表現のレベルを超えていくことになるのだろう。

 ポピュラーソングの幸福とは、そういうものなのだ。
 今回で、「歌のはなし」はおわる。
何か「解説」に違和感をおぼえ始めた。
また、アカルイ気分で、歌についてここに書ける時が来るのを、自ら祈りつつ。

 これまでの、ご愛読に感謝。

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