ポチがしんだ |
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人前で何度か歌ったことがある曲だが、そのたびに 究極のリアリティを書いたものを歌いますと言ってきた。 まじめに、そう考えて書いたふしがあるのは、 われながら、思い返せば、ちょっとこわい気もしないではないけれど、 そのとき自信たっぷりだったといえるだろう。 おおまかにはとか、一応とか、但し書きをつけたい気分はあったものの。 根拠として、自分の飼っている犬が死んで悲しいのは、 おんなにふられたおとこよりつらいはずだ、というのが一点。 悲しい目でみれば、世の中なんだって悲しいというのが、もう一点。 がんばれば、まだ出てくるけれど、このぐらいにしておく。 この歌詞に反応してくれたある作曲者が、 以前NHKの「みんなの歌」を目指しているといって曲をつけてくれた。 ほんとうに目指しているのがその曲を聞いてわかった。 あわてて、まずいんじゃないか、と言った意味のことを告げたが、その方は不満そうだった。 二十年も昔の話である。 今ては、「みんなの歌」を充分目指せるかなと思う。 「こうはく」は無理だろうな。 いや、歌手にめぐまれれば、少々のことは目をつぶってくれるだろう。 音響がよければ、もっと可能性が高い。 聞き取りにくい、という意味だが・・・。 ともかく、歌詞となった言葉の、意味を聞きとる方法が、 ずいぶん変化したのは、間違いない。 |
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この歌詞には、じきにぼくは自分で曲を書いて、のちに録音盤の中にいれた。 レコーディングでは、前奏、間奏のピアノは自分で弾いた。 これも、究極のリアリティをあらわしたつもりであった。 どんな名手であっても、まねできないだろう、とたかをくくっていた。 録音盤が完成してまもなく、 このときのサウンド・プロデューサーであるピアニストのウォン氏が言った。 「あのピアノのいいねえ、かんじでているよねえ、こんなんだっけ」と、 その場で、ぼくの演奏をまねしてピアノを弾いた。 ぼくが、さぐりながら弾いたたどたどしさ、そっくりに。 プロをなめていた、と知った。 そんなわけで、演奏のほうのリアリティは、復元可能だとわかったが、 それでも、歌詞のほうは、これをしのぐリアリティは、過去の歌詞にはないだろうと、 ぼくは、ゆずらなかったのだ。 つい最近まで、ゆずらなかったのだが、ここのところ弱気になってきた。 それは、ここにきて、短歌の世界を眺めたせいである。 もし、短歌レベルで評価されたら、 たとえば「ちょうど春だったので」というフレーズにある予定調和は、 作品のリアティをそこねているだらう、とか、 刺さるものとして、釘を選択しているのは安易だらう、とか、 ギシギシというオノマトペは大げさではないか、とか、とか。 たしかにそのとおりである。 あれ?自分で添削したのだった。 |
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実は、六月のある日都内のカルチャースクールでの講座としてひらかれた、 短歌教室に、またまた行ってきた。 穂村弘さんが、受講者が前もって提出した三十一文字(近いものも含む)を、 批評、添削しながら、短歌とはなんぞやを語っていくという趣向であ。 このときの「コンサート・レポート」は、短歌関係の方々のページに、 たんとかかれているので、ぜひ参考にしていただきたい。 ところで、ぼくは今回、何に感心して帰路についたかというと、 穂村さんのパフォーマンスが、 また一段とすばらしいものになったということにである。 おまえが今まで気がつかなかっただけでしょ、と言われれば返す言葉はないけれど。 ともかく、短歌に対する情熱を背景に、 日々の瑣末な事象は瑣末ななりに、 かといって、自嘲するでもなく、尊大に構えることなど決してなく、 三時間のソロ・ライブをなしとげた。 その間、スタンディング・ポジションにぶれはなかった。 おどろくべき歌人としての基礎体力といわねばなるまい。 人のふり見て、というわけで、ぼくは日々炎天下を走ったりなんぞしている。 決して意味を取り違えているつもりはない。 |
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