風の日 |
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オリジナルとコード進行がちがいます。今回、掲載する直前にかえたくなったのです。 ぼくテキにはよくあることなのですが特に迷惑かからないでしょうから、いいですよね・・・。 |
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この歌詞を読んでいただいたとして、 または、もしこの歌を知っている方であれば、聞いていただいたとして、 この歌の舞台となっている風景がどこにあるのか、 受け取った側としてはある程度でも、特定できるものなのだろうか。 もし、想像がついたとしたなら、たとえばこの歌の、どこが、どの言葉が、 それをにおわせたのだろう。 もし、想像もつかないとすれば、それはなぜなのだろう。 あまりにも、ありふれた風景だからか。 もしかしたら、風景といえるしろものなんかじゃないからか。 僕の生活圏をご存知の方にはだいたい関東のものと想像してもらえるだろう。 それはそれで間違いじゃない。 でも、いやこれは郷里である北海道のものが混じっているのです、 と僕が言い張ったとしても、それはそれでベツニいいですよ、とも思うだろう。 こう、ぐだぐだと書き連ねているのにも、わけがあって、 一時期、僕は日本的な風景を書くソングライターと思われていたフシがあったせいもある。 さすがに、その「カンバン」はながつづきはしなかったのだけれど。 単に、欧米型のライフスタイルを積極的に取り入れた歌を作っていないから、 カタカナ表記が当時としては少なかったから、 即、日本的、というのは、なんとか分別したいというあせりが目にあまる。 ごみじゃナイゾ。 そのうち、英語のフレーズの入っていないものは、 すべて日本的といわれるシーズンもあった。 さすが、ごく最近は、そこまで過激でもなくなったけれど。 もう一度、お尋ねしたい。 この歌から、どこか「北」が感じられたりシマスカ。 |
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白状すると、僕にはわからない。 漫画家の描く人物は、どこか自画像になっていたりするものだ。 それと同じく、文章だって、その人らしさというか、癖は、 よほど注意深く避けないと、出てしまうだろう。 歌詞だって、言葉をあつかう分野として、やはり同じうんめいだとすれば、 北海道出身の僕の書く、「一般的な風景」には北らしさがでてくるのだろうか。 今日は、しつこい。 しつこいのには、理由がある。 それも、けっこうせっぱつまったものなのだ。 近々(2005年)に、札幌でするライブのひとつが、 岡本忠成のアニメーション作品を上映して、僕が歌うというもの。 それ自体は賛同してもらえたのだけれど、 岡本作品の中で、十数分以上のボリュームをもつ中篇、長編アニメーションは、 きわめて象徴的な日本らしさを感じさせるものが多い。 たとえば信州あたりの民話を素材にしたようなふんいきだ。 特に、僕が手伝わせてもらったものは、すべてそうだった。 それらの作品を上映するにあたり、せっかくの札幌でのライブなのだから、 コンサート全体としては、「北」をもうすこし混ぜてみてはという提案があったのだ。 もっともな意見だと感じた。 むかし、アイヌ民話を取材して、童謡のLPレコードとして発表したものがあり、 その中から歌ってみたい、と返答した。 1970年代の中ごろ、坂本龍一氏と山下達郎氏を巻き込んで、 そんなものを作ったことがあるのだ。 これはこれで一件落着かと、思いきや、たった一曲しか思い出せず、座礁。 タラー、なのである。 まあ、憶えていたにせよ、現在の僕に歌えるものである保証はない。 ぼんやりした記憶では、少年少女合唱隊用だった気がしている。 どういうわけかCDアルバム「引き潮」に収録した、「天のしずく」を除いて。 |
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別にアイヌ民族、民話を直接取材したものでなくても、 「北」の歌ぐらいあるだろうと、たかをくくっていたが、それが無い。 シバレルとか、オバンデスとかまではのぞまないけれど、無い。 「キングサーモンのいる島」だろ・・・それから・・・無い・・・。 もう少しは郷土愛とかいうものがさりげなく出ていても、いいのではないか。 それが、ふつう、というものではないか、ヒトとして。 いや、だから、たずねさせてもらったというわけである。 何気ないものにも、その人ってでるものですよね、と。 つまり、「風の日」に北海道を感じませんか、と。 感じませんね・・・。 僕には、先輩にお前のは個人的にすぎるのだよ、といわれたように、 生活者としてのとか、民族としてのとかいう、そういうたぐいの視点が不足している。 というより、無いらしい。 ら・し・い・と、まだ反抗的なのは、そりゃまだ全面降伏していないからだけれど。 もし、少しでもあるのだったら、六月の札幌ライブの選曲が、俄然らくになる。 そんな理由カイ。 |
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「かぜのひ」 一人遊びが嫌いじゃない上に、 誰も寄り付かなくなった1990年ごろの僕が見ていたもの。 かつては、荒涼とした原野か、はたまた原生林かが、広がっていただろう場所。 すでに今は、植樹された木々が等間隔に立ち並んでいる舗道がある。。 そんな住宅街の、小さな公園のわきに、 フォルクスワーゲンのカブトムシが停まっている。 僕は強いかぜの中を自転車にのっている。 何の目的もない、ただの散歩だ。 今思えば、僕の年齢で、何の目的もないのが、めずらしい時代、1990年ごろのことだ。 僕はといえば、まだそれほど危機感もなく、 かといって、のんきな気分だけというわけにもいかず。 きっと僕の身体内にも、その公園とおなじような空間があったのだ。 暑さを感じるでもない、現実感のとぼしい日差しがある。 風にいっせいに翻る木の葉を、きれいだと感じてながめ、同時にわきおこる不安。 それは、個人的とは限らない自信喪失の前ぶれ。 |
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