さわがしい楽園 |
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記憶のあいまいな歌をとりあげる。 あいまいというか、タイトル以外、ほぼ憶えていない。 題名だけは、なんとか記憶に残っていて、さも僕がつけそうな印象だ。 「さわがしい楽園」は1977年、TBS系のTVドラマ「人間の証明」の主題歌として、 りりィさんが歌ったものだ。 僕が、これだけ記憶していないのは、 どうも録音現場にたちあっていないせいもあると思いたい。 しかし、それだけでは説明がつかないほど、ぼんやりしているが、 今回はそんなこと言っているばあいじゃない。 前回の「歌のはなし」でとりあげた「終りのない歌」の終りのほうに、 「さわがしい楽園」にちょっとふれた。 そうしたら、この歌についての資料の提供を、複数うけた。 それで、驚いたのだけれど、僕が思い込んでいた歌は、別のものだった。 つまり、 恋の破片がつきささったままぁ〜♪ という歌は「バニシング・ポイント」というもので、桑名晴子さんが歌った。 と、自信たっぷりに言えるのは、思い出したからだ。 なにがって、録音スタジオの風景をだ。 桑名さんがヘッドホーンをつけて歌っているのを、しっかりと記憶していた。 いや、記憶していたというのは、変だ、忘れていたのだからな。 いや、記憶していたから、思い出したのだ、といのはがんばりすぎか。 まあいいか。 しかし、インターネット上にながれている「バニシングポイント」の歌詞は、 ちょっとちがうぞ。 それから、どこかの出版社の「さわがしい楽園」の歌詞カードも、 ちょっとちがうぞ。 |
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前回に引き続いて、詞先(しせん)、曲先(きょくせん)のこと。 多分この曲は井上氏の曲先だ。 なぜなら、力ずくで歌詞の音数あわせしているような箇所が見える。 「陽炎のビル揺れる♪」あたりがあやしい。 助詞の省略が生きる箇所とは思えない。 「私はいる この騒がしい楽園に♪」の倒置も、ちょっと作為を感じる。 「安らぎだけを掴む それが出来るならば♪」の、 わさわざのギアチェンジはどうなのだろう。 言いたいことはわかるけれど、そりゃ自分が書いたんだモノ、 したったらずな印象は否めない。 曲先のばあいどうしたって、どこかにそんな痕跡があるものだ。 最近はよくあることだと、もれきくが、 はちゃめちゃイングリッシュで歌ったデモテープを貰って歌詞をはめこんだことがある。 はじめはびっくりしたけれど、作曲側の事情がだんだんわかっていった。 つまり英語にあるニュアンスを大事にしたいとすれば、 それ以外に方法はないのだ。 ただし、日本語で歌詞をかかなければならない僕は、どうしたらいいのだ。 そんなイントネーションを再現するのはとうてい不可能だった。 フツウの日本語で書いて、おそるおそる提出したのだった。 彼は、そんな僕の苦悩などてんで気がつかずに、喜んでくれた。 気が抜けた。 しかーし、ここまで書いてはっとしている。 もしエピソードまでつけ「さわがしい楽園」が詞先だったら、 いったい僕はなんと弁解すればいいのだ。 井上氏はじめ、関係者全員すっかり忘れていることを祈るのみ。 |
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作曲の井上鑑氏のこと。 彼は、なかまうちでは「Akira−san」とか「〜kun」とか呼ばれていて、 年下だったせいか、それともあの風貌からかアイドルっぽく愛されていた。 ときどきは僕の家にも足を運んでくれた。 そのころ僕は、紙相撲にはまっていた。 後輩のミュージシャンが持ち込んだのがきっかけだったが、 日々、紙の力士を誕生させては、ボール紙で作った土俵の上で取り組ませていた。 ちゃんと本場所もあり、当然、前相撲からあるし、番付もあれば、 電飾の国技館もあるという、ホンカクテキなものだったのだ。 その紙相撲に、鑑さんも力士を何人か提供してくれた。 けっこう、ちゃんと付き合ってくれたのだった。 僕をケイベツしたりせずに、ありがとうと伝えたい。 そんななかまのひとりベースのキンダイチ氏が、 札幌駅の北で喫茶店をやっていると聞いた。 今度札幌に行ったら、づぇったい探すぞお。 鑑さんのこと。 僕が当時のラジオ関東で深夜放送を担当していたころ、 ヤマガタスミコさんという、愛らしいフォークシンガーが登場した。 僕のの担当のあと、午前3時からは故山平和彦が担当していて、 そちらの時間によく出演していた。 もしかしたら、レギュラーだったかも。 じきに、鑑さんと一緒になられたのだが、僕には電光石火のごとく感じられた。 そして、彼の活躍はいっそう幅の広いものになっていった。 そう、僕はといえば、前回の「歌のはなし」に書いたように、 いっそうハバのせまいものになっていったのであった。 紙相撲などの遊びも、続ける環境からは程遠いことになっていった。 |
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ところで、2番の故郷をフルサトと読ませているけれど、 コキョウとしないことによって、1番との音数の差がいちじるしくなっている。 実際に聞いて確かめなければわからないけれど、 なぜこんなことしたのか、自分では、わからない・・・。 追記。 と、コキョウとフルサトとの読み方の、音数の違いについて書いたところ、 それほどちがわないんじゃないかと、実際に音源にあたってくれた方から、 連絡があった。 それよりも、読みのちがいによる意味の変化のほうが大きい、との指摘もあった。 まったくそのとおりだ。 当時、僕がそこまで意識して欠いていたかどうか、はなはだあやしい・・・。 |
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