インドの街を象に乗って |
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何かの影響を受けて歌を作るのがふつうで、 何の影響も受けずに歌ができるなんてことは、ない。 ない、といったらない。 影響を受けたものが、それとそっくりだったら盗作という。 このあたり、かなり微妙なんじゃないだろうか。 たとえば、書道なんか臨書から入るのが普通だろうし、 バンド練習も、初期はもっぱらコピーをするだろう。 ようするに自分が作ったのだといわなければいいのだけれど、 たっぷり影響を受けていれば、当然似てしまう。 やがて、職業として、創作者と認知されだすと、これが問題になる。 つまり、自分が創作したと思い込んでいたら、過去に近似した作品があって、 ひやりとした経験のない作詞者、作曲者のほうがずっとすくないだろう。 ポピュラー音楽を標榜するのであれば、その確立はまた一段と高くなる。 もちろん、僕も、そんな経験の持ち主のひとりである。 |
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ここで懺悔したって始まらないけれど、こんな経験もある。 ともかく、自作歌が、びっくりするほど、そっくりだと気がついて、 ラジオか何かで白状したところ、ずいぶんちがうと思います、と冷静な投書が来て、 かえって恥ずかしい思いをしたこともある。 当然、似てしまったという曲が、好きなわけだから、 似ていないと断定されたことが、なんだか、恥ずかしかったというわけだ。 そんなものかと、再度聞きなおしてみると、そっくりなのは、その考え方であって、 音符そのものは、ちがう作品といっていい範疇なのだった。 では、その考え方、というものは何かというと、 たとえばフォーク的とか、演歌的とか、いったような、 時代としての感性と、くくるしかないようなものだったりしたのだった。 だから、、この考え方、捕らえ方、というものは、作詞のほうでは、 ほぼ同一の作品がけっこう多いぞ、と皮肉ッぽく言っておこうかな。 ただし、字句がちがえば、盗作とは言わない。 作詞“のほう”でなくても多いかな・・・。 これにも、もちろん事情があり、たとえば、 その時代の考え方、感じ方があり、それをはずすと、 まず、流行歌にはなりにくいということなのだ。 ついでに、もっと弁解しておくと、 一見、その時代の作品としては毛色の変ったものが、でてくることもあるにはある。 ただし、それも時間の問題で、やがて、時代の波に呑まれていくのが、常だ。 と、ここまで着たけれど、この歌に話をしぼらないと、えらい場所に行ってしまいそうだ。 以下のことを軽い気分で書きとめておこうとの思いで今回書き始めたのに、 長い前フリになってしまったのだ。 盗作、贋作問題は、あらためて書きます、ということで。 |
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インドの街を象にのって、は、インドの神様こんにちは、からはじまったのである。 と言ったって、わけがわからないと思うけれど。 つまり、この歌が出来る前に、下敷きになるものがあったということ。 インドの神様、のほうは、別役実の『カンガルー』という戯曲に、入り損ねた歌なのだ。 当然、彼が作詞して、僕にポンと原稿用紙に書かれたこの歌詞を渡してくれた、 だから、とにもかくにも、僕が曲を書きさえすればよかったのだ。 とは言ったけれど、ほんとうに、この歌、すくなくとも歌詞は、 存在していないんだろうなあ。 “多分”というのは、もしかしたら、その後別役さんが出された戯曲集に、 この歌が収録されているかもしれないからである。 ともかく、この歌を、僕はかけなかった。 、お月様の歌や、海賊の歌、などとともに、劇中で歌われるかもしれなかったのだが。 そして、都合のいいことに、この歌をぜひ使わなければというのでもなかったのだ。 いや、書けていたら、そのシーンが出来ていた可能性は、ある。 ある、というか、僕のせいで、なくなったと言ってもいい。 すみません・・・。 なんだか、歌のはなし、を書くたびに僕は謝っている気がしてきたな。 |
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ところで、このあたりのいきさつは、小室さんもきっと知らないだろうな。 そして、作曲者である彼のがわからの、この歌についても聞いてみたいな。 先日、『猫』の常富くん、そしてお佳子ちゃんと僕のユニット『猫・文銭』でこの歌をやった。 楽しい気分を味わえたのは、演奏者だけではなかったと思う。 いい歌なんだけどなあ。 どうして、小室さんは今この曲のれないのかなあ、なんて、仕方がないんだけれどね。 ぐち、です。 当時、時代を映すことが、フォークの言葉の使命のひとつ、 と考えられていたようだけれど、 この、インドの街を象にのって、からそれを感じ取ろうと思っても、むずかしいと思う。 むしろ、こんな歌でもレコードにしてしまうんだぞ、という作業そのものが、 時代を映していたといえそうだ。 それも、『キングサーモンのいる島』というアルバムから、 シングルカットしたのであーーる。 しかし、『キングサーモンのいる島』というアルバムタイトルだってもんだいがあるか。 言い出すときりがない、われら六文銭であったのだ。 |
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