長い歌 |
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原茂のソロアルバムが再販された。 僕が書いたものは一曲「私の家」が収録されている。 ここでとりあげる「長い歌」は、「私の家」に先立ってかかれたものである。 たぶん、僕が劇中歌を流用せずに、 六文銭のステージのために書いた最初の曲だったと記憶している。 いや、待てよ。 「まわる」という、わけのわからん歌が先だったかも知れないなあ。 それとも「まわる」は詞曲とも原だったかなあ。 ともかく、原茂と書き出した方が、小室等と書くより先だったとは思う。 「長い歌」を書いたのは、 時期的には小室と「出発の歌」を書くことになる1971年夏より前、 その年の春以前、もしかしたら前年だろうか。 レコード盤として収録されたのは「私の家」が先で、「キングサーモンのいる島」に入り、 「長い歌」は「六文銭メモリアル」に就職先が、のちに決まった。 |
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この曲の構成は実にたくみである。 10小節でワンコーラスであるが、 コード進行は5小節ずつ正確に繰り返されているだけである。 ところが、歌つまりメロディは、4小節+4小節+2小節と構成されている。 コードが5小節単位だから、ずれが生じているわけだ。 しかし、歌ってみるとこのずれはただものではないということに、気がつく。 みょうに気持ちがいいのだ。 みょうに、などと思って歌いつづけると、随分となり、やがてはまる。 根がシンプルな歌だから、 実際歌ってみて、呪文のようなループ感覚に僕はとらわれた。 こんなワザを当時原茂は、きっと無意識に使ったに違いないのだが、 どう考えてもスゴイ。 そして「私の家」が醸し出す開放感とはちがった、湿度がここにはある。 ただし、やはり彼の感性は同じ湿度といっても、 日本の梅雨、とはだいぶ異なっている。 この歌は原茂の作品としては、「私の家」ほどの評価を受けなかったけれど、 僕としては、この曲に肩入れしたい。 |
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先日(2004/10/23)、横浜イギリス館で『まるで六文銭のように』の、 何回目かのコンサートをした。 当日は『猫』の常富くんにもゲストで歌ってもらったが、 『まるろく』のほうは、僕ら三人+こむろゆい、細川圭一の五人だった。 僕自身は、楽しめたライブだったし、音楽的にも刺激を受けた。 その中で印象に残ったことがある。 小室、マイクの前で曰く。 「『まるで六文銭のように』って、 名前として長いの長くないのとの話もあったけれど、結構いい名前だよね」 リーダーとしては、そして六文銭創始者としては、考えることがあったのだろう。 ところで、その言葉を聴いていて僕なりに、ピンとくるものがあった。 多分、23日当日喋ったと思うのだけれど、単に心中での発言だったような気もする。 それは、こういうこと。 僕にとっては、 1969年からこのグループ解散時の72年まで在籍した「六文銭」は、 参加した当初から「まるで六文銭のように」だったことに気がついたのだ。 開店休業状態だった「六文銭」をやりたいと小室をけしかけたのは僕だ。 ちなみに再結成の1969年から解散まで在籍したのは、 リーダーの小室と僕だけだ。 そして原茂は解散時のメンバーだ。 小室にも手ごたえはあったからこそのスタートだったのは当然として、 僕の中には小室等や入川捷、石川鷹彦などの六文銭が、 すでにイメージされていた。 だから、小室に申し出たときは、 そう、つまり「まるで六文銭のように」歌いたかったのだ。 今回のイギリス館の五人のユニットも悪くない。 |
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参考⇒『オレンジ色の朝』原茂 | |||||||||||
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