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歌のはなし |
曲名 |
公表作品 |
作詞者 |
作曲者 |
042 |
にじもうせんごけ |
『ルノアールの雲』 |
及川恒平 |
及川恒平 |
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4/4
ラストの( )内は
カウンター旋律で、録音では微かに入っています。
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D Em ÷ D
かげろうの中を 古い飛行船 病院の庭の 井戸から飛んだ
D Em ÷ D
病室の窓で 今日も見ている 退屈な春の 昼さがり
D Em ÷ D
索引の棚で かくれんぼして 文字も絵も無い 本をみつけた
D Em ÷ D
みどりの季節の 中央図書館 ひとりあそびを 思い出す
F♯ Bm Aaug/A7 D
ああ 誰か あそびに こないかな
D Em ÷ D
真夜中の窓に 流星花火 たくさん夜空を とびかっていた
D Em ÷ D
パラソルさかさに それを集めて ベッドの中に かくしてた
F♯ Bm Aaug/A7 D
ああ何か いいこと ないかな
D Em ÷ D
見舞いの にじもうせんごけの鉢 いつのまにやら 部屋から消えた
D Em ÷ D
からだに障ると いうことだったけど どこにいったか すぐ分かる
D Bm F♯m7 A7
捨てた庭の かたすみ 雨の日には ひかりだす
以下繰り返してフェイドアウト
D ÷ ÷ ÷
虫にしか聞こえない 小さな小さな音たててひかる
(イ ノ チ ノ カ ワ リ カ イ ノ チ ノ ツ ヅ キ カ )
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03年 秋深い横浜 |
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この歌を人前で説明したことが過去に数度ある。
歌詞とメロディが同時にできたものだと言ってきているのだけれど、
それだけではなにか伝え切れていない、もどかしさをそのたびに味わっている。
もちろん、その正体がなにであるかは、自分ではわかっている。
いや、ことはもうちょっと複雑になっていて「わかっていた」とするべきなのだ。
言いかけては、怪しまれるかもしれないと口を濁したことは、こうだ。
あるとき気がついたら、この歌が僕の体内に、すでにあったのだ。
錯覚にしては、非常にリアリティのある体験だった。
ちょうど、この歌をうたう長さどおりの時間でこの世に生まれ出たと、
そのときは思ったのだった。
それなのに、現在はこの「説」に自分で自信がもてなくなってきている。
頭の中で無意識に近い状態で考え続けていたというのが、ほんとうのところなのだろう。
「瞬間説」は魅力的ですてがたいのだけれど・・・
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歌の内容は、読んでいただけば、そのままである。
病気の子供が主人公だ。
病室で過ごす退屈さを、空想でおぎなうという、
病弱な幼少期を持つものならば、誰にでも思い当たるところだろう。
僕は実際に、そんな時コッペパンほどの大きさの飛行船をみたのだった、
と、今言いはってもしかたがないか。
この歌に、病気がちな子供たちを励ますという考えはないけれど、
主人公が病気であったりする歌が、もうちょっとフツーにあってもいいだろうとは思っている。
そんな子供には、広い野原も、駆け回る体力もないが、
健康であれば当たり前なことに対する憧れは、
ときには実際を超えるシーンを見せてくれることもあるだろう。
と、いう表現も実は僕は不満で、この歌に書いてある、目にしたもの触れたものは、
やはり事実としか言いようがないきもするのだ。
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さて、みなさんにはお手元の事典でニジモウセンゴケを調べてもらいたい、
というのはつまらない冗談で、これは架空の植物だ。
前段の“論調”からして、僕の心はお見通しだと思うけれど、ほんとうにないのだろうか。
ないことのほうが、僕ににはなんだか不思議な気分なのだ。
もちろん何度か、かつて事典をあたったこともあるのだけれど、
ないものはない、ということだった。
などといちおうホーコクするものの、ほんとうはまだアキラメがついていない。
そのうち、見つかる・・・。
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