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4/4 オリジナルキーは憶えていません。僕のキーです。 | F Gm C7 坂道の垣根にのぞいたコスモスが B♭ F 三つ、四つ、五つと咲きました B♭ F B♭ C7 それがむやみに愛しくて 声をかけては通ります F Gm わたしの心が何かしら F Dm ≒ 変わってきたのじゃないかしら F Gm C7 灰皿に誰かが残した吸殻が B♭ F なぜだかふたつに折れてます B♭ F B♭ C7 それが気持ちにひっかかり あれやこれやと思います F Gm わたしの心が何かしら F Dm ≒ 変わってきたのじゃないかしら F Gm C7 ともしびを黙って見つめて夜更けには B♭ F しきりに手紙を書いてます B♭ F B♭ C7 それも出さずにそのままに まるめて篭へと入れてます F Gm わたしの心が何かしら F Dm ≒ 変わってきたのじゃないかしら |
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僕は歌詞を書くことで、 ごく小規模ではあるけれど社会的な認知をうけたので、作詞の依頼が多い。 その中で、これは作曲をたのまれたすくないもののひとつである。 ただし、依頼者が僕に何を求めているのかは、よく把握せずに作った。 そのあたりが、作詞家とはいわれても、 作曲家とは言われることがすくない所以であるかもしれない。 ただし弁解もある。 なぜなら、作詞を依頼される場合、たとえば『出発の歌』のようなとか、 むこうも具体的に指定しやすいといった事情も見逃せないと思う。 しかし、それだけ自由に作れるわけで、 この歌詞の場合、詩人のサトウ八ローの感性に感動を覚えることに、 身をゆだねていれば済んだ。 だから比較的、苦労なしに作ることができた。 |
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今この歌詞を読み返してみて、当時気がつかなかった微妙さを発見して、あせっている。 この歌詞の特徴は、身の回りのちょっとした風景を見やることで、 それからうける印象に、自分のこころの変化を見つけていることになる。 ここまで読み取る、聞き取ることは比較的容易だと思う。 ただし、凡百の作詞家ならば、事象そのものに思い入れて、 悲しい花とか、恋に破れた人の吸殻とか、やってしまうのだが、 あくまでもターゲットは自分自身のこころ変わりである。 |
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さて、ここまでは、いい。 そのつもりで読んでいくと、スリーコーラス目の手紙を書いているのは、 自分自身のことであるだろうから、ワンコーラス目の花を対象化して、 いとしいと感想を述べている余裕のある距離感は、ここにはなく、 そのまま自分の行為をえがいている。 なぜ、こうやって距離を変化させているのか。 そうツーコーラス目が鍵である。 このシーンは誰であるかということなのだ。 この場面は、本人でもなく、そして実際に見ているわけでもないのではないか。 |
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僕はひそかに、こう思う。 この主人公は女性である。 そうして、ツーコーラス目の吸殻の主は、 どういう事情からか、主人公と会わなくなる予感のはたらく立場の人なのではないか。 それを、今自分が手紙を書いては破りすてている、この同じ時間に、 相手はタバコを吸っては もみ消していると、 かってのその人の性癖をよく知っているあまり、想像してしまうのではないか、と。 一見整然とならんでいる三つの風景は、実はまるで次元のことなるものではないか。 そうして作者がそれとなくひそませた思いこそ、ツーコーラス目にあるのではないか。 そう読み取るのは果たしてむりなのだろうか。 |
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