歌のはなし  曲名 オリジナルシンガー 作詞者 作曲者
0307  こころ変わり   ボニージャックス   サトウ八ロー   及川恒平 
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4/4 オリジナルキーは憶えていません。僕のキーです。    F           Gm      C7
坂道の垣根にのぞいたコスモスが
              F
三つ、四つ、五つと咲きました
           F    B          C7
それがむやみに愛しくて    声をかけては通ります

F        Gm
わたしの心が何かしら
F           Dm     ≒
変わってきたのじゃないかしら


F           Gm      C7
灰皿に誰かが残した吸殻が
              F
なぜだかふたつに折れてます
           F    B          C7
それが気持ちにひっかかり    あれやこれやと思います

F        Gm
わたしの心が何かしら
F           Dm     ≒
変わってきたのじゃないかしら


F           Gm      C7
ともしびを黙って見つめて夜更けには
              F
しきりに手紙を書いてます
           F    B          C7
それも出さずにそのままに  まるめて篭へと入れてます

F        Gm
わたしの心が何かしら
F           Dm     ≒
変わってきたのじゃないかしら


 僕は歌詞を書くことで、
ごく小規模ではあるけれど社会的な認知をうけたので、作詞の依頼が多い。

 その中で、これは作曲をたのまれたすくないもののひとつである。
 ただし、依頼者が僕に何を求めているのかは、よく把握せずに作った。
そのあたりが、作詞家とはいわれても、
作曲家とは言われることがすくない所以であるかもしれない。

 ただし弁解もある。
なぜなら、作詞を依頼される場合、たとえば『出発の歌』のようなとか、
むこうも具体的に指定しやすいといった事情も見逃せないと思う。

 しかし、それだけ自由に作れるわけで、
この歌詞の場合、詩人のサトウ八ローの感性に感動を覚えることに、
身をゆだねていれば済んだ。
だから比較的、苦労なしに作ることができた。
 今この歌詞を読み返してみて、当時気がつかなかった微妙さを発見して、あせっている。
 この歌詞の特徴は、身の回りのちょっとした風景を見やることで、
それからうける印象に、自分のこころの変化を見つけていることになる。
 
 ここまで読み取る、聞き取ることは比較的容易だと思う。
ただし、凡百の作詞家ならば、事象そのものに思い入れて、
悲しい花とか、恋に破れた人の吸殻とか、やってしまうのだが、
あくまでもターゲットは自分自身のこころ変わりである。
 さて、ここまでは、いい。
そのつもりで読んでいくと、スリーコーラス目の手紙を書いているのは、
自分自身のことであるだろうから、ワンコーラス目の花を対象化して、
いとしいと感想を述べている余裕のある距離感は、ここにはなく、
そのまま自分の行為をえがいている。
なぜ、こうやって距離を変化させているのか。

 そうツーコーラス目が鍵である。
このシーンは誰であるかということなのだ。
この場面は、本人でもなく、そして実際に見ているわけでもないのではないか。
 僕はひそかに、こう思う。
この主人公は女性である。
そうして、ツーコーラス目の吸殻の主は、
どういう事情からか、主人公と会わなくなる予感のはたらく立場の人なのではないか。

 それを、今自分が手紙を書いては破りすてている、この同じ時間に、
相手はタバコを吸っては もみ消していると、
かってのその人の性癖をよく知っているあまり、想像してしまうのではないか、と。

 一見整然とならんでいる三つの風景は、実はまるで次元のことなるものではないか。
 そうして作者がそれとなくひそませた思いこそ、ツーコーラス目にあるのではないか。
そう読み取るのは果たしてむりなのだろうか。

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