なつのあさ題字

歌のはなし 曲名 公表作品 作詞者 作曲者
035 なつのあさ しずかなまつり 及川恒平 及川恒平

4/4 録音盤はゆっくりです。倍テンのボサ調もありです。2003年現在、ギターでソロで歌うときはそうしています。
Am7/G△  Am7/G△    Am7/G△  Am7/G△  Am7/G△
夏の  朝   誰か 呼ぶ   夢の 中   窓の 外

 B7     Em     A7     D7 
おののき  よ     やすらぎ   よ
Am7/G△  Am7/G△    Am7/G△   Am7/G△ Am7/G△
夏の  朝    揺椅子の  背凭れが消えて いる


AAm7/G△  Am7/G△   Am7/G△  Am7/G△  Am7/G△
夏の  朝     いつに なく   真白  な    服を  着る

 B7     Em     A7     D7 
名も   いらぬ     やまい  連れ
Am7/G△  Am7/G△   Am7/G△  Am7/G△  Am7/G△
夏の  朝    家を 出る  一本の 木も 植えず


Am7/G△  Am7/G△   Am7/G△  Am7/G△  Am7/G△
夏の  朝  靴を 脱ぎ    鳥 追って  橋 渡る

 B7     Em     A7     D7 
ての ひら  を     地図に  して
Am7/G△  Am7/G△   Am7/G△  Am7/G△ Am7/G△
夏の  朝  野仏 は   ほろほろと 日向ぼこ


Am7/G△  Am7/G△   Am7/G△  Am7/G△ Am7/G△
夏の  朝  まいまいの   抜殻 を   ぽんと蹴る

 B7     Em     A7     D7 
ためらい   よ    あこがれ   よ
Am7/G△  Am7/G△   Am7/G△  Am7/G△  Am7/G△
夏の  朝    指の傷   空に向け  雨降らす


Am7/G△  Am7/G△  Am7/G△  Am7/G△  Am7/G△
夏の  朝   水の種   ぽんと蹴る   かみさまか

 B7     Em     A7     D7 
この  広  さ     この    深さ
Am7/G△  Am7/G△  Am7/G△  Am7/G△ Am7/G△ 
夏の  朝   一株 の   草になり 濡れている


Am7/G△  Am7/G△ rit. Am7/G△  
夏の  朝   誰か呼ぶ     夢の中        
D♯dim   a tempo   Am7/G△  Am7/G△
空の             上



「こおろぎ」野坂徹夫より    「こおめろぎ」野坂徹夫作 撮影・及川    演出・撮影/及川
《2003年10月28日》
 『なつのあさ』は安産というわけにはいかなかった。
幾種類かのの型が出来て、そこからまた発展形が出来たりなどして、
最終的にはメロディ、コードの成立の段階で、ようやく録音してものに落ちついた。
しかし、果たして完成と言っていいのかについては自信はない。
つまり、また変ってしまう可能性は絶えずあると言っていい。
 芥川龍之介の『羅生門』だって後年手を付けられたし、
宮澤賢治の二十代の作品は本人により文語化されもしている。
 と、並べてみせるところが、スゴスギル・・・

 ともかく、自分の書いたものでも『面影橋から』は、
短すぎるという安直な理由で、二番が書き足されたし、
その上、二番の最終フレーズは、録音盤として残っているだけで、2バージョンある。
調べたことがないのでわからないが、
フォークソングの世界ではそれほど珍しくないと思うけれど、どうなのだろう。
 『なつのあさ』は、主人公の勝手にまかせて行動させてみた。
僕としては、彼は家を出て、そして帰ってくるものと、すっかり思い込んでいた。
または、すべて寝床の中の出来事としてとも、考えていた。
ところが、彼は行ったきりになってしまったのだ。

 帰宅するものと、信じ込んだわけは、僕なりに、下敷きというか触発されたものが、
野坂徹夫の作品『こおろぎ』のほかにあったからだ。
 “ほか”というのも正確ではない。
野坂氏の作品を見たからこそ、そんなものまで思い出していたと言うべきなのだろう。
 それは、おそれおおくも「十牛図」である。
さまざまな解釈もあるであろうし、実際僕にはここで、
これについて解説できるなにものも、持ち合わせていない。
 
 ただ、「十牛図」では表面的には(こんな但し書きなど役にはたたないが)
主人公は、とりあえず家に帰ってきた。
 そうして、僕の『なつのあさ』では、そうならなかった。
ヒョウメンテキには。
 
 『なつのあさ』は、タイトルからして、実は決定稿でなかったりする。
これの場合、夏や朝を漢字にするかどうかが、ナヤマシイ。
この手の、タイとリングのまよいは常につきまとい、
これだと思って決めた割には、のちのち、当の本人が平気で変えていたりする。
それも意識的にではなく、、
決めたとおりと思い込んでちがうように書いたりするので、始末が悪い。

 そんなわけで、非常に説得力がないのだけれど、以下をやっぱり書いておきたい。

 それは、漢字が、自分の守備範囲を超えて、意味シンあったりシマセンカ、ということ。
ひらがなのもつ「記号性」でじゅうぶんなときって、けっこうあったりシマセンカ。
 たとえば、これを書いているパソコンのワープロソフトは、
いつも虎視眈々と漢字変換を狙っていてうっとうしすぎる場合がほとんどだ。
 まぬけな変換で心和ませてもらうこともあるので、感謝もするけれど。

 かな、について書いていて思い出したこと。

 僕が二十代のある日、同年代の男が僕の歌詞に文句を言ってきた。
たしかラジオ局のディレクター氏だったように記憶している。

 彼の感覚としては、フォークソングの歌詞には
「横文字」語が多すぎると言いたかったのだろう。
あの時代、この感想は、言葉を扱う場合の主要な考え方のひとつだった。

 二人の目の前にあった歌詞がなんであったかは、すっかり忘れたが、
『たとえば、この歌詞のどこが』
と僕がたずねたとき、彼がずいとばかりに指さした単語は“アイスクリーム”だった。
 かわる言葉として、『冷菓』『ひやがし』と、
ここまで書いてあとは今思いつかないけれど、
当時だって外来語としてアイスクリームは、ずいぶんこなれていたほうだと思う。

 ただ、その男のまじめな思いつめた表情に対して、僕はたじたじとなっていたし、
そのちょっと意外な指摘に、僕もまたしばらく絶句し続けたのだった。
 『なつのあさ』についてが、どこかへ行ってしまった。
ただこの歌を、当の野坂徹夫氏が、ライフワークとして、
今度は視覚的な作品化を試みると、先日会ったとき明言していたのを、報告しておきたい。

『なつのあさ』

なつのあさ だれかよぶ
ゆめのなか まどのそと
おののきよ やすらぎよ
なつのあさ ゆりいすの
せもたれが きえている


なつのあさ いつになく
まっしろな  ふくをきる
ただひとつ やまいつれ
なつのあさ いえをでる
いっぽんの きもうえず


なつのあさ くつをぬぎ
とりおって  はしわたる
みずもひも ちずもない
なつのあさ のぼとけは
ほろほろと ひなたぼこ

なつのあさ まいまいの
ぬけがらを ぽんとける
ためらいよ あこがれよ
なつのあさ ゆびのきず
そらにむけ あめをよぶ


なつのあさ みずのたね
ぽんとける かみさまか
このひろさ このふかさ
なつのあさ ひとかぶの
くさになり  ぬれている


なつのあさ だれかよぶ
ゆめのなか そらのうえ




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