ありふれた夢題字

曲名 公表作品 作詞者 作曲者
 030  ありふれた夢   ライブ発表のみ    及川恒平   及川恒平 

4/4  
(前奏) 
A△7/A6   A△7/A6  A△7/A6  A△7/A6   E    ≒

E           F♯m       C♯m       B7
一年で    気まぐれに   地図を    描いた
E          F♯m        A          E/E7
十年で    ひたすらに    森を    拓いた

A            E       A            B7
百年で 子供たちが  山を削り   海を埋ずめた
E          F♯m    A/Am       E     ≒
千年は つかの間の まどろみの     如し


E           F♯m       C♯m       B7
一年で  訳もなく     歌など    消え去る
E          F♯m        A          E/E7
十年で  さり気なく     友は     立ち去る

A            E       A            B7
百年で 子供たちが  まだ見ぬ星を 目指して行った
E          F♯m    A/Am       E     ≒
千年は  一瞬の       風の     如し

(間奏)
A△7/A6   A△7/A6   A△7/A6   A△7/A6   E    ≒

E           F♯m       C♯m       B7
一年で   夜のない     街を      作った
E          F♯m        A          E/E7
十年で   時を行く      船を     作った

A            E       A            B7
百年で   子供たちが こんな星から 逃れていく
E          F♯m    A/Am       E     ≒
千年は  ありふれた    夢の     如し


A△7/A6 A △7/A6  A△7/A6  A△7/A6  
 今   は    ただ  
A△7/A6 A A△7/A6  A△7/A6  A△7/A6
 雨   の    中  
 
A△7/A6 A A△7/A6  A△7/A6   A△7/A6
 僕   は    急ぐ    
(rit. )A△7/A6   A△7/A6    E (end)
   君 の    もと へ  


 この歌も"完成"までに十年弱かかったことになる。
発想時と、ほとんど同じ場所に着地したにもかかわらずである。
 どこかが気に入らなかったから、こんなに時間が必要だったのだし、
気に入っていたから、捨てなかったと言うことだ。
これだけ時間がたつと、思い込みがそのまま、
記憶された事実として認識 されている危険性がおおいにあるのだが、
ともかく書き連ねてみよう。
 
 気に入らなかった理由は、構成が見え透いていたからだろう。
そして、捨てられなかった理由は、
それだからこそ、共有しやすい歌になると感じたからだろう。
なんじゃこりゃ・・・
 では、まよった理由はというと、
もっと分りやすい、つまり聴いてくれる人と、題材がより共有しやすいものにならないか、
ということ。 
そして、もっと独自性のある歌にならないのか、ということ。
 つまりは、つまりではなくても、よくある話なのだ。
歌書きは、いつでもこうやってフラフラになっているのだと、白状しているようなものだ。
 この歌から連想できる歌のひとつは、井上陽水氏の「傘がない」だろうか。
社会的な現象風景が導入部にあるし、なにより雨を題材にしている。
そして対象物との距離感も類似しているだろう。

 もうひとつ、ポールサイモンのたしか「アメリカ」という題の歌も、
共通点があるような気がする。
この歌も社会現象を導入部に使っていたはずだ。
とここまで書いて、ジョンレノンの「イマジン」を思い出した。
この歌こそ、こんなタイプの歌の極めつけといっていいだろう。
 ただし、陽水作と、僕のこの歌はさすが日本人作で、湿度が高い。
けっして卑下している気はないのだが。

 ところでここでとりあげたレノンと、ポールサイモンの作品はどちらが先なのだろうか。
そして、たがいにやはり何か影響しあっているのだろうか。
それとも、時代がとりもつ「縁」なのだろうか。
 《追記・2004/5/6》

 以上を読み返してみて、決定的な差異を実感した。
それは、僕の書いたものは“社会感覚”がきわめて薄いということ。
社会人としての率直な思想が見えないのだ。
理由は、自分だからよくわかるけれど、ないからだ、スミマセン。
 学生時代も、それでいろいろ言われたし、
フォークの創成期にも、批判の的だった気がする。

もっとも、『キングサーモンのいる島』が
エコロジーを訴えていると、捉えてくれるようなかたがたは別だ。
そんな歌でも、

キングサーモンの熱いステーキが食べたいな

と、着地しては、あきれられたようだが・・・
食べてしまったら、そりゃいなくなるでしょっ。

 以前に書いていたときは、忘れていたのかもしれないが、
僕としては、大切な説明になりそうなので書いておく。

 千年という単位で歌を書いているけれど、
それは、それほどの長さではないぞ、ということ。
四半世紀に一代ずつ連なっていっても、40代目でしかない。
 気が遠くなる、ほどのものではないと思うけれどいかがか。
 
 おじいさんやおばあさんの知恵というものはすごいものだと、
感じたことがあるのだから、その38代前の先祖が生きていたら、
それは想像を絶する知恵のかたまりではあるだろうけれど・・・
 それでも、地球誕生後50億年ということを考えれば、ねえ。
人類誕生500万年と比較したって、あーた。

 いや、実感があるわけではないけれど、
なんだか可愛い気がして、さ。

 

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