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曲名 |
公表作品 |
作詞者 |
作曲者 |
029 |
金属メルヘン |
歌謡詩集(歌詞のみ)
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及川恒平 |
及川恒平 |
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4/4
フォービート系
が似合いそう。
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(前奏) Gm ≒ ≒ ≒
Gm GmΔ7 Cm6 E♭dim A♭/A♭m ≒
淋し い 会話が あり まして
B♭7 E♭ G7 Fm7 B♭7 E♭ E♭/B♭7
銀色 の 小石が 取り残されておりました
E♭ G♭ E♭ G♭ E♭
思えば 久しく 過去の 只中で
B♭m B♭mΔ7 E♭6 E♭dim B/Bm ≒
私 の 昼寝は 続いて いたのです
(間奏) Gm ≒ ≒ ≒
Gm GmΔ7 Cm6 E♭dim A♭/A♭m ≒
やさしい 故郷がが あり まして
B♭7 E♭ G7 Fm7 B♭7 E♭ E♭/B♭7
銀色 の 小石が 取り残されておりました
E♭ G♭ E♭ G♭ E♭
思えば たまゆら 神のいたずらで
B♭m B♭mΔ7 E♭6 E♭dim B/Bm ≒
私 の 幻は 散歩して いたのです
(間奏) Gm ≒ ≒ ≒
Gm GmΔ7 Cm6 E♭dim A♭/A♭m ≒
世界 が はじけて 消えた 後に
B♭7 E♭ G7 Fm7 rit. B♭7 E♭
銀色 の 小石が 取り残されておりました
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これを書いてから、三十年以上の月日が経った。
月日というより歳月と言ってみたい気がする。
ブロンズ社という、フォーク系の読み物にも力を入れている出版社をごぞんじだろうか。
そこの社長のFさんから、君の詩集を出版したいとの申し出を受けた。
その頃、六文銭の解散をはさんで、僕の身辺は波風がたっていた。
高円寺の小さなマンション風アパートに住んでいた頃のことである。
詩集との要望を受けはしたものの、
歌の言葉以外に持ち合わせのない僕は、歌謡詩という言葉を編み出した。
つもりではあるが、どこかから借りてきたような気もする。
『歌謡詩集』という題名はこうして生まれた。
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当時個人的にマネージャーをしてもらっていたクラさんが、
編集にも強く、力を借りて、校正、デザインまでをぼくサイドでおこなった。
つまりは、ブロンズ社社長のFさんが、そうとうフトッパラだったということにつきる。
僕は、どこの馬の骨とも知れぬワカゾウである。
その、無謀ともいえる申し出をことごとく呑んでくれた。
タイトル、紙の選択、掲載作品の選択、ページわり、そして、なんとも地味なブックデザイン。
のちに、ぼくがK社から次の歌謡詩集を出したときも、
Fさんは何も言わなかった。
もっとも、このときはタイトルはどうしても『第二歌謡詩集』とはしてもらえなかったし、
すべてが受け入れられぬまま本になってしまった。
後悔している。
時々、僕が『第二歌謡詩集』と口にして、
コンランを招いていたのは、こんな事情からのことデス。
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『金属メルヘン』は、当時かばんにいつもおさまっていた大学ノートに書かれたはずだ。
それも最初からこの形ではなかったような気がする。
というか、今でもこれが最終形のような、安心感というようなものがない。
どのようにでもふくらみ、または削除されても不思議がない、不安定な気分が残ったままだ。
この歌詞には、ぼく自身の作曲作品として、二十年にわたりトライを続けた。
これだと思えるまでに十や二十の形は出来ていると思う。
おそらく、僕としては、歌詞が出来てから、曲が決定するまでの、
一番間のある歌のはずである。
幸運なのは、そうやって時間をかけて作り上げたものは、瞬間的に出来たものより、
存外不満が残ったりするのだが、どうやら、けっこう気に入ったりしていることだ。
いずれ機会があれば、録音作品としてみたい。
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さて、この詞が、のちに『トウサク問題』に発展しかけた。
中原中也の詩集に、そっくりなのがあるとの知らせを受けた。
つい数年前の出来事なのだけれど、ぼくのおめでたい記憶力は、
すっかり、その作品を失念している。
そのとき指摘してくれた方、あるあると、この瞬間気がつかかれた方、
これを読んだら是非、もう一度、ご教示ください。
この詞を、中也作品を前提に読み返すと、たしかに
『幾時代かがありまして・・・(黄色い戦争?)』などの語感は、
質の問題はおいておけば、よく似ていると、認めざるをえない。
しかし、ぼくとしては、この『トウサク問題』は、白状しなくてはいけないことがある。
たしかに、強く影響を受けた作品が、ただし中也のものではなく、あるのだ。
ぼくがいた高校の文芸部の部長をしていた方の作品だ。
『個性』という、当時の文芸部同人誌のある号が、
どういうわけか上京後も僕の手元にのこり、その中でこの方の作品を見ていたのだ。
この方の作品を、おゆるしが出たら、いつかここに掲載して読んでいただきたいと思う。
一年先輩のこの女性は、高校を卒業できずに、結核でこの世を去ったと、数年後に知った。
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Copyright©2001-2003 Kouhei Oikawa(kohe@music.email.ne.jp)
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