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(前奏)D/F#m7 Em7/A7 G/F#m7 C/A7 D/F#m7 Em7/A7 G/F#m7 C/A7 リエは白い つば広帽子を 膝に載せて いる D/F#m7 Em7/A7 G/Gdim D/ D7 夕べティスコで ロックシンガーに 貰ったんだって 言う D/Δ7 D6/Δ7 Em7/F#aug F#m7/A7 飾りの 羽根 が とても綺麗ね と D/Δ7 D6/Δ7 Em7/A7 今日は二人 で お茶を飲んで D/F#m7 Em7/A7 G/F#m7 C/A7 る D/F#m7 Em7/A7 G/F#m7 C/A7 リエの嘘は ひどく下手だから 誰にも分かって しまう D/F#m7 Em7/A7 G/Gdim D/ D7 恋をなくして 泣いていたのに「平気です」って 言う D/Δ7 D6/Δ7 Em7/F#aug F#m7/A7 約束の時間 とうに過ぎて から D/Δ7 D6/Δ7 Em7/A7 言い訳のキッス 持って来たの D/F#m7 Em7/A7 G/F#m7 C/A7 さ D/F#m7 Em7/A7 G/F#m7 C/A7 リエは自分の 本当の名前を 言った事が ない D/F#m7 Em7/A7 G/Gdim D/ D7 お嫁に行くまで 取ってっておくんだと 恥しそうに 言う D/Δ7 D6/Δ7 Em7/F#aug F#m7/A7 暗くなったら どこかのディスコ に D/Δ7 D6/Δ7 Em7/A7 夢中で 踊る リエがいるだろ D/F#m7 Em7/A7 G/F#m7 C/A7 う |
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時代の風俗を書いてみたかった。 歌といえばかなり直接的な意味でラブソングであるのが当然という風潮でもあった。 この感覚は今でも相変わらずの気もするけれど…。 そんな流れに乗らざるをえなかったにしても、、 当時、ほんのちょっとだが聞かれていた歌い手として、相応の真実味もまた欲しかった。 だから自分の体験や実際に見聞きしたことをアレンジして書いている。 この場合の『真実味』とはかなり一方的で、そしていい加減なものでしかないのだけれど… |
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今だったら言えるがポピュラー音楽を作るということは、この意識がまず必要なのだ。 つまりは、とりたててこんな発言をイマゴロしなければならないなんて、失格だ。 ぼくが作詞家として成功しなかったわけだ。こんなのジョーシキでしょ! ただし正直な感想であるし、当時ぼくは流行歌を作りたいと、 それなりに真剣だったのも本当である。 作詞家のはしくれとして、歩み始めていた時期である。 流行歌の制作依頼もそれなりに受けつつの、自分のレコードアルバムづくりだったのだ。 フォークがポピュラー音楽としての地位を築きつつあった1970年代の後半を迎えていた。 |
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ぼくの頭の中にはシャンソン・ド・フランセがあった。 経験主義でしかないとしてシュールレアリストからはげしく揶揄されつつ、 ついにはブリジットフォンティーヌのような歌手まて飲み込んでゆく、 太く、そして強靭な流れ。 そのような時代が、 少なくとも数年後にはこの日本にもやってくるのだと信じていたふしがある。 ほそぼそとではあるにしても、自分の言葉を研磨するこが作詞者としてなすべき、 ほぼすべてだと思っていたのだ。 この勘違いも、 もしぼくが素質とし、ポピュラリティをもっていたらなんでもなかったのだろう。 それならば、当時の立場を利用して、そこそこの流行歌を作ってもいたのだろう。 残念ながら、ぼくにはそれがなかった。 ないのだから、積極的に作り出すしか、いきのこるすべもまたなかった。 ぼくはできなかった… |
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弁解めくが、この時代をリードし、染めていくポピュラリティという代物は、 誰でも持っているとは思えない。 さらには『運』という透明人間のいたずらなしには成り立たないものでもあるだろう。 つまり僕は、流行に携わっていくには、 その意味であまりにも平凡な表現者でしかなかったというわけだ。 しかし、今のぼくには、それを反省している時間的余裕も、素質もあるとは思えない。 その結果のひとつが、今度のCD「しずかなまつり」だということだ。 |
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