大雪の日題字

曲名 公表作品 作詞者 作曲者
  022     大雪の日     ライブ発表のみ     及川恒平     及川恒平  
4/4

(前奏) F/FΔ7    Dm    Gm7/G7     C´´G7


C/C6   CΔ7     Dm6/D7      G/G7
大雪の日 遠いオアシスで 頻りに手を洗う 人よ
Em/A7   Dm6/E7        Am/F    G7
奪ったのか 流したのか  埋めたのか  祈ったのか
Em/A7      Dm6/E 7   Am/F'Fm   C  
多分そうだろう  No no no...

F/FΔ7     Dm/Em     Gm7/G7         C´´G7
転んだ人の数 拉げた車の数  鼻歌混じりで見る 雪の空


(間奏) F/FΔ7    Dm   Gm7/G7    C´´G7


C/C6   CΔ7       Dm6/D7     G/G7
大雪の日 密かに地下室で 祭りを企てる 人よ
Em/A7    Dm6/E7     Am/F    G7
撃たれたから ライバルは 花束を  貰えたのか
Em/A7      Dm6/E 7   Am/F'Fm   C  
多分そうだろう  No no no...

F/FΔ7   Dm/Em       Gm7/G7      C´´G7
妙に真剣に 空手の稽古をする 男の姿がある 雪の原


(間奏) F/FΔ7    Dm    Gm7/G7    C´´G7


C/C6   CΔ7         Dm6/D7      G/G7
大雪の日 それまで見も知らぬ 長い片仮名の 国で
Em/A7  Dm6/E7     Am/F     G7
暗闇が   光った時  埃っぽい  旗が死んだ
Em/A7      Dm6/E 7   Am/F'Fm    C  
外かにもあっただろう   No no no…

 前回の『世界が完全に晴れた日』の続編。 
しかし少し角度をかえて書いてみたい。
川柳というものの認識のされ方、
そしてその混乱ぶりは『フォーク』の比ではないと、つくづく思う。
無季俳句と現代川柳との差違に至っては、
当事者でさえ戸惑いがあるのではないかとうたがってしまうほどだ。
 
 さて、手許に一冊の本がある。
「新世紀の現代川柳20人集」という題名である。
この中に、野沢正悟氏の作品も収められている。
「歌の話〜冬のロボット編」に登場した方である。
青森に行った時に何度か酒席を共にしていただいた。
 彼のこの本における挑戦は時事川柳の深度を大きくして
社会批評としての力を確かめてみたい、というものである。
  日本という具体の海の波の苦さ    
            1995年「霧の疼(いた)み」オウム残像

 巨大木柱誰かが登りかえってこない  
           1997年 三内丸山にて

 あやふやに薔薇がくずれる裁判所
           1999年 あやふやに
 こうやって改めて読ませていただくにつけ、僕は野沢氏のこのチャレンジに、
自分の「大雪の日」そして「世界が…」をダブらせてしまうのだ。
部外者の乱暴な意見とお許し頂くことにして、感じたままを書いている。
つまり川柳の現在は個人のまわりの情景、
出来事を割合率直に表現することが主流と言っていいのだろう。
社会性という膨らまし粉はなるべく使用しないのも、暗黙の了解点なのかもしれない。
文芸としの価値は社会性、政治性とは無縁という認識が、
現在、文学というジャンル内では主流なのだろうか。
そして川柳もまたしかり…。
 
 野沢氏は、川柳の一分野に、
このまま忘れ去られてしまうには惜しい可能性を見つけたに違いない。
そして、率直にその方法を駆使して書き連ねていった。
 一度、手垢のついたものを蘇らせる、
または新しい息吹をもたらそうとする事は、むずかしい。
野沢氏はもちろん百も承知だ。
 
 さらには自作品の解説で成功とは言えないとまで言い切っている。
そう、成功はおそらく、彼や僕の目の黒いうちにはやってきそうもないほど、
困難を極める作業なのだ。
ただし、野沢氏に怯む様子はつゆほどもない。
いいではないか。ホットイテクレだ。
つまり、そのチャレンジ意欲が、
すでに成功の扉を開く鍵だと言っておきたい衝動に、僕はかられている。

 時事川柳が文芸、文学作品の範疇で語られるのをよそに、フォークは気楽なものではある。
しかし、かっての反戦フォークも、
時事川柳とクロスオーバーしているところがあるような気がするが…


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