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曲名 |
公表作品 |
作詞者 |
作曲者 |
021 |
世界が完全に晴れた日 |
未収録
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及川恒平 |
及川恒平 |
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4/4 |
A/A△ F♯m Bm/E7 A/A6
六月の火事のように 明るく 生まれたばかりの蝶が 燃えていた
C♯m/Bm E7/A C♯m/Bm E7/A
手旗信号で 愛のメッセージ 誰かに飛ばした いつかの草原
AΔ7/E7 AΔ7/E7 E7
mmm…
A/A△ F♯m Bm/E7 A/A6
二十万の向日葵が さよなら 肖像画が笑ってた その広場
C♯m/Bm E7/A C♯m/Bm E7/A
天気予報 も 最終回 深々礼した いつかの夕暮れ
AΔ7/E7 AΔ7/E7 E7
mmm…
A Bm E7 A
世界が 完全に 晴れた日 飛んだ
A Bm E7 A
世界が 完全に 晴れた日 行った
AΔ7/E7 AΔ7/E7 E7
mmm…
A/A△ F♯m Bm/E7 A/A6
戦場では雨傘が けなげに 弾丸を弾く夢を 見つづけた
C♯m/Bm E7/A C♯m/Bm E7/A
筒抜けの秘密 愛のメッセージ 胸を撃ち抜いた いつかの街角
AΔ7/E7 AΔ7/E7 E7
mmm…
A Bm E7 A
世界が 完全に 晴れた日 飛んだ
A Bm E7 A
世界が 完全に 晴れた日 行った
AΔ7/E7 AΔ7(rit.)/E7(end)
mmm…
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2003年大和 |
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できて十年は経った。
その間今夏発表予定のものを入れて4枚のCDアルバムを作ることになるが、
この歌はついにお呼びがかからなかった。
嫌いなわけでも飽きたわけでもない。
それどころか、この曲をタイトルにしたCDを作ろうと思った時期もあったのだ。
『世界が完全に晴れた日』
『大雪の日』『風の日』
など、日シリーズをもくろんだりもした。
しかし結局4枚のどれかに収録されたのは、このうち『風の日』のみ。
取り残された二曲はぼくとしては精イッパイの『反戦歌』だったのがいけなかったらしい。
そののちウク存在となったのだった。
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聞いていただくとわかるのだが、ぼくのものとしてはめずらしく少々のビート感がともなう。
リズム体のサポート無しには歌いにくい。
コーラスがあればなおさらいい。
もしもの話だが、六文銭を続けていたら、
きっと何かのおりにレコーディングに挑戦していたに違いない。
詞の内容はともかく、バンドむきの曲だからだ。
ただし、詞の内容。
これはきっと小室さんと大もめにもめていたにも違いない。
いや、結構イキトウゴウしたかな。
スタジオ録音盤としては
『キングサーモンのいる島』たった一枚しか残せなかったぼくが参加した六文銭だが、
ぼくは、というか小室さんをはじめ全員が、
あの盤で六文銭をまっとうしたと思ってはいなかったはずだ。
実は、録音期間をまたいで解散は決めていたのだが、もしかしたらまだまだ続くヌカルミと、
それを乗り越えるだけの意欲は持っていような気がする。
だからまだ続くかもしれなかった道の、その第一歩として、あのような、
なんとも実体を計りかねる内容の言葉になったと思う。
あれで着地しようとするのは無謀というものだ。
ただし、『キングサーモンのいる島』という一枚のレコード作品としては、
自分でいうのはおこがましいけれど、なかなかいいものだったんじゃないかな。
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さて六文銭。もちろん架空の話だが、その後活動していたとすれば、
様々な「社会経験」として、じゃっかんの政治体験も避けてはまず通れなかっただろう。
このヒイタ言い方は、実はぼくは政治性のあまりないタイプのフォーク歌手という
みょうな自負というか、自覚があるからだ。
ソロとしてやっていたころは避けて通ってばかりだったので、
おかげでずいぶん友達をなくしたけどね。
そんな僕程度の政治意識の持ち主でも、歌えそうなのがこの歌のウリかな。
つまり着地用としてはちから不足かもしれないけれど、
架空の六文銭にある時期ちょっと登場したとしても、
そんなにおかしくはないだろうと思う曲が『世界が完全に晴れた日』ということだ。
いつか『まるで六文銭のように』で歌ってみたいな。 |
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(後日、まるで六文銭のようにで歌った。2002年秋の名古屋のライブだった。
しかし思ったより印象の薄いできばえだった。もう一度挑戦したい。) |
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Copyright©2001-2003 Kouhei Oikawa(kohe@music.email.ne.jp)
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