歌のはなし 曲名 公表作品 作詞者 作曲者
020 冬の音 『名前の無い君の部屋』 及川恒平 及川恒平 






 F     Dm         B♭     C7
糸車 風の音 だれかのせなに思い出が
 F     Dm    B♭/B♭m     F
糸車 風の音 ピーポー吹いておりました

    B♭        Dm    Gm7        C7
吊り橋をわたり 栗林をぬけ 辻堂まえの陽だまりで
  Am          C7
ピーポー遊んで おりました
 F     Dm    B♭/B♭m     F
糸車 糸車  思い出を つむぎましょうか 

  F      Dm      B♭      C7
落葉焚き 冬の音  だれかの頬に思い出が
  F     Dm    B♭/B♭m      F
落葉焚き 冬の音  パチパチはぜておりました
    B♭       Dm    Gm7      C7
遠い街にある飾り窓の中 花嫁衣裳や 口紅や
   Am          C7
それよりきれいと言ってみる
   F     Dm     B♭/B♭m      F
落葉焚き 落葉焚き  思い出を もやしましょうか




 歌にも運、不運があるとすれば、この歌は幸運であったと言うべきだろう。
 ポピュラーソングにとって
レコードの売あげにたいした結びつかなかったものを、
そんな評価をするのはどうかという向きもあるだろうが、
ぼくの個人的なものさしによるとして、ご容赦ねがいたい。

 四半世紀も以前の出来事を正確に思い出すのは、
ぼくにはとてもできない相談であるが、この歌を作った動機は忘れられない。
北海道出身者が「内地」という単語を口にすることはご存知だろうか。
家が漁業や酪農をいとなんでいるとすれば、
「内地」つまり本州、四国、九州を訪れるのは高校の修学旅行が、
最初で最後ということも、そんなにめずらしくない時代であった。
 たまたまぼくは都内の学校に進んだので、北海道をはなれることになったわけであるが、
大学生活の最初は少なからぬカルチャーショックをうけつづけたのだった。


 そのショックのみなもとは 「内地」人にとっては、
きっととるに足らぬことばかりだったと今ではぼくにもわかる。
例えば、春に花が咲くこと。それも一斉に、きそうように。
そして、その花びらの、それぞれが、大きいこと。
さらには、特別な場所にというのではなく、
街中の家々の塀からこぼれるように咲いていること。

 渋谷をターミナルとする省線に下宿のあったぼくは、定期券の途中下車ができるのを知るや、
下校時は気まぐれに見知らぬ改札口をとおり、歩き回ったのだった。
北海道には、すくなくとも釧路地方にはなかった、文字通りはなやかな春をあじわっていた。
ついでに報告する。秋にはたわわな果実まで、一般家庭の塀のなかになっていたのだ。
 
 今でも、ぼくは花の名前をよく知らないのだけど、道産子は概してその傾向にあることを、
たまたま同郷者と雑談するときなど、それを感じてほっとしたりしている。
ちなみに、そうやってひとり遊びをしていたころ、ぼくは高校時代のままの、
学生服で学帽という、なんとか丸だしのいでたちであった。
しかし、何がどうころぶか、その格好はすぐのちに、
演劇部での公演にその学生服のまま「学生」という役でデビューするきっかけになったのだ。


 話をもどそう。
 そう春。ぼくがはじめて生活者としてむかえた季節は、強烈に「内地」を感じさせてくれた。
そして、どうもぼくが住んでいたのは、日本であって日本ではない場所だったと
考えないではすまされなかった。
「内地」があるのなら、「外地」があるのは当然で、その「外地」に北海道も含まれるのだと、
あまりにお気楽に「内地、内地」と連発していたので、気がつかなかっただけだ。
もっとも、まだ自分が「外地」に住んでいると気がついていない道産子は、けっこう多いかも・・・
 
 そうやってぼくは歩き回っていて、家のたたずまいが、
どうも北海道とちがうぞ、と思い出していた。
そう屋根だ。
トタンの屋根が当たり前のぼくら「外地人」にとって、瓦はすごい。
純日本風だ。天平のいらかだ。そこでまた、がーんと一撃をくらうことになる。
 大都会のはなやぎにも、もちろんじゅうぶん心うばわれつつ、
一方こんなありきたりの風景にもいちいちおどろいている、18才デシタ。



 そして後日、音楽の仕事で旅するようになって、
ついに「内地」の山間部で本物のわらぶきの家に遭遇したぼくが、
その歌を書かないはずはないと、分かってもらえマスネ、ネ、ネ。
 
 『冬の音』発表後のぼくの評価のひとつに、
日本的叙情派としてのフォーク歌手というのがあった。
いいのかな、と思っていた。
いや、今でもずっと思っているからこそ、ここに書いたのだ。
単なるアコガレがこの歌を書かせたのだと、告白したかったのだ。
時効前に・・・うなされるので・・・。

 過分の評価を受けた『冬の音』は、やがて某出版社のCMソングとして、
ラジオから流れるにいたり、あたかも先祖代代「内地人」が書いたような顔をして、
某フォーク歌手の代表曲のひとつにナッチマッタノデアッタ。

 ラッキーと言わせていただく。






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