歌のはなし18

川のまつりの題字

歌のはなし 曲名 公表作品 作詞者 作曲者
018 川のまつり みどりの蝉 及川恒平 及川恒平

コード進行の
パターンは
黄永燦氏が
作ってくれたものも
別にあります。



1   Bm  ≒     ≒    ≒  Bm   ≒    A  ≒ 
    つたえて   くだ さい       川の    まつりに
    Dm   ≒   ≒   ≒    Dm   ≒    G    ≒ 
   濡れた    爪に       朝日  が   あたって
    E7       ≒     A     ≒
   目を瞑れる よう    に


2  Bm  ≒     ≒    ≒  Bm   ≒    A  ≒ 
    つたえて   くだ さい       川の    まつりに
   Dm  ≒    ≒   ≒  Dm   ≒     G     ≒ 
    嵐   が  過ぎて      野原  が     光って
    E7          ≒      A      ≒
   地図が変わっ   ていた    と


3  Bm  ≒     ≒    ≒  Bm   ≒    A  ≒ 
    つたえて   くだ さい       川の    まつりに
    Dm   ≒     ≒  ≒   Dm   ≒     G    ≒ 
    そのころ  までに        もし 目が  さめたら
    E7         ≒     A      ≒
   行ってみた かった     と


4  Bm   ≒      ≒  ≒  Bm    ≒     A    ≒ 
   とどけ て ください         川の   まつり に
   Dm   ≒     ≒   ≒    Dm   ≒       G   ≒ 
   舟 を   彫っ て          曲がった てのひら
   E7  rit.     ≒     A     
   木の実が  残った     と


川面の光の写真


 ぼくにとっての衝撃映像だった。
 
十数年も前のことになる。
佐々木昭一郎さんの映画がテレビから流れていた。
題名は忘れたが、音叉を持ってヨーロッパを旅する、
日本の調律師のはなしだったと思う。
おもう、としか言えないのもなさけないが、古いはなしなのでご容赦を。
なにしろはなしの筋は特にないといっていいドラマだった。
その若い女性調律師が旅の途中できく音を、
クローズアップしてゆくのがテーマと言えば、そう言えたのか。
 
 そして、このシーンがあった。
川のそばで民族衣装をまとった村人たちが、
楽器をかきならし民謡をかなで、そしておどっていた。
 はなしの脈絡はこのばあい特に重要ではない。

 そこにたちあらわれた風景は、
旅の番組にふつうにあってもおかしくない、
ありふれたものだったといっていい。
 



 ただ僕の目には、すこしちがって見えたということなのだ。
その調律師の耳と目に映ってきた音と像として、
ぼく自身が感じたからだ。
もちろん、佐々木昭一郎氏の術中にはまっていることは明白だけど、
はまって気持ちがいいのだったから問題ない。
 
 一瞬ぼくはその少女に恋をしたということなのだろう。
いや、これではちょっと不正確である。
その主人公の感性が反応した情景に恋したといえば、
より正確かとも思う。
いずれにせよ、恋するものの常としての同化の願望。
そしてそのあらわれとしての風景は特別のものだったのだ。
 
そしてぼくは、それを言葉にしておきたかっただけなのだ。
だから、「川のまつり」は、
この映画の説明にはほとんどなっていない。
このテレビ映画を、
誰かがこれから見たとしても、もしかしたら、
そんな場面はなかったと言われてしまうのかもしれない。
 実際、ぼく自身あんな「川のまつり」なんてシーンは、
妄想の産物だったようにも思えてきた。
 


 いや、僕は見たのだ、たしかに。
あの朝の美しい村が、ある年、
はげしい嵐と洪水にみまわれたことを知ってもいる。
 それにしても、靴屋のおばさんは、
楽しみにしていたはずの「川のまつり」に、
どうしてあの日はこられなかったのだろう。
 そして、ぼくは一心に舟を彫っていた。
この村からどこにも行けずに、丘の上の古い墓地に、
いつかうずめられるにきまっているのに。

 まつりのあったその夜、僕はどこかでひろったのか、
木の実をテーブルの上において眺めている。
 ひろったのか、このてのひらから生まれ出たのか…







Copyright©2001-2003 Kouhei Oikawa(kohe@music.email.ne.jp)