花の季節の歌題字


曲名 初公表作品 作詞者 作曲者
  017     花の季節の歌     名前の無い君の部屋     及川恒平     及川恒平  

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 D/Δ7 D6/Δ7  D/Δ7 D6/Δ7
花の   季節の歌  を
 Em/Δ7 Em7/A7 D/Δ7 D6/Δ7   
君は    教えて くれた

 D/Δ7 D6/Δ7  D/Δ7 D6/Δ7 
僕が   一人で 暮す
 Em/Δ7 Em7/A7  D/Δ7  D7   
今日と   いう日の為に

   G      Bm7     Em7     A7  
一時しのぎに 見付けた  幸せに  酔って
   G     Bm7    DΔ7 Em7  A7   ≒
黙って 踊っていよう  街の   少女  よ

 D/Δ7 D6/Δ7 D/Δ7 D6/Δ7
こんな  素敵な  夜は       
 Em/Δ7 Em7/A7 D/Δ7 D6/Δ7   
お伽    話の ように

(間奏) D/Δ7  D6/Δ7  D/Δ7  D6/Δ7  


 D/Δ7 D6/Δ7  D/Δ7 D6/Δ7 
花の   季節が 終り         
Em/Δ7 Em7/A7  D/Δ7 D6/Δ7   
今は    夜が 好きだよ

 D/Δ7 D6/Δ7  D/Δ7 D6/Δ7
散って   しまった後の        
 Em/Δ7  Em7/A7 D/Δ7  D7   
安らぎに    抱かれて

   G       Bm7     Em7     A7  
明日はいつも さよならと 背中合せ だから
   G     Bm7    DΔ7 Em7  A7   ≒
黙って 踊っていよう  街の   少女  よ

 D/Δ7 D6/Δ7 D/Δ7 D6/Δ7
こんな  素敵な  夜は       
 Em/Δ7 Em7/A7 D/Δ7 D6/Δ7   
お伽    話の ように


  調子にのって書いてしまおう。
 と言ってもジュウダイナコクハクと言うわけでは全然ないのですが、
この歌に関して説明するのはてれくさいところがあります…。
 
この歌がどんなふうに聴かれていたのか想像するすべはなかった。
という地味な書き出しでいこう。地味なまま終ったりして… 
つまり発表当時あまり反響があったとはいいがたかったのだ。
どうもそのころぼくの代表曲としてあった『面影橋から』と、
あまりにも遠く離れているからかとも思えなくもなかった。
 ただぼくは、こういったふうな軽いポップスタッチの歌は、
実は好きだった、というかずっと好きだ。
どっちかいうと、自分の感性としてはこっちかなとも思っていた。
ただし、USAの方向ばかり向いているアコースティックも好きにはなれなかった。
それに当時の和製フォーク界の音楽レベルが
USAのそれに肩を並べられていたかどうかは?だけどね。
 そして、どうしても受け入れられないものとして、
当時のニューミュージックサウンドがあった。
しかし考えようによっては、輸入モノだったロックやフォークが
日本の独自性を加味して作り上げられたのがニューミュージックとも言えるのかな。
 ついでに言えば、現在のアコースティックギターと称する音は
ほとんどが電気ギターの音にしか、ぼくには聞こえないのだが…
あのむりやり膨らませた低音の響きはゲヒンダナ、ココダケノハナシ…

 編曲のニュアンスも、そのころの録音技術のめざましい発達にともなって
厚く濃くなっていったのだったけれど、ぼくとしては、
もっとアコースティクなサウンドを持続していたかったということだ。
 当然の結果として、当時ぼくが組んだユニットはけっこうジャズやクラシック、
邦楽カンケイシャのものが多い。
結局、冷静に判断すると、ぼくの声質を含む音楽性が、
当時の流れにマッチしなかったというだけのハナシなんだけどね。
 
 突然、今思い出したことを、ひとつ。
 そのころぼくがよく一緒にコンサートツアをくんでいた女性ミュージッシャンが
ある時言いました。
 「バックの音なんて何でもいいのよ、邪魔でさえなければ…」 
ぼくはキモをつぶしたのデシタ。
今回の話題とはまるで無関係だけど、ここに書かないと忘れそうでネ。
 さて歌詞の内容。
 どんな歌でもそうだけれど、まるっきり自分の外にある題材で書くことはない。
自作自演の者はほぼそうだと断言していいだろう。
ただし、全てほんとうかというと、それも違うと断言してもいい。
 この『花の季節の歌』で、虚構と言いきることのできるひとつに、
「黙って踊っていよう…」がある。

 学生時代、ぼくは役者をすることもあったのだが、
あるとき佐藤信さんの作品である「私のビートルズ」の主役を演じたことがある。
渋谷に当時できたばかりの「ヘア」という名の
昼間はブティックであるパフォーマンススタジオだった。
当の佐藤さんも見に来てくれたその公演で、ぼくの演じた主人公だけが踊らずに終った。 
もちろん稽古当初は踊ることも演出家は考えていたのだが、
あまりのひどさにあきらめたか、ぼく自身が抵抗したか、
ぼくの芝居は大道具として舞台にあった脚立の上でほぼすませたのだった。
 
ではなぜ、そんなウソを混ぜたかというと、あこがれがあったからだろう。
街の見知らぬ少女と踊るなんて、
なにかドラマチックだとぼくは他愛もなくアコガレたというわけだ。
ただ、そのころぼくは別れのシーズンを迎えていたとは言える。
 花の季節というなんのへんてつもない言葉に実は、
ちょっとしたローカルな意味があることを書きそえておきたい。 
 
北海道、釧路の夏は、実質的に来ない年もあった。
つまり一年中ストーブを消せないこともあったし、
真夏でも夜はセーターが必要なのはいうまでもない。
この道東地方の花の季節は六月から八月までの間といっていいだろう。
そして海抜数メートルの場所に高山植物が育っていることも知ってほしい。
 そんな土地ガラの子供であったぼくの見る花は、
当時は比較のしようもないので、そんなものと思っていた。

 しかし学校が東京になり、上京して暮すようになってから、
ぼくが見ていたのは「花」なんかじゃなかったんだと確信したのだった。
街中に花が咲き乱れるという風景を、初めて「内地」で見からだ。
そう、ソメイヨシノ、つつじ、紫陽花…せっせと定期券で途中下車しては、
そんな花のすがたを見て回った。
 だから「花の季節の歌」を教えてもらうということはデスネ、エー、
まあそんなことなんですね、エヘン…
ナンノコッチャ… 「ヤッパリ地味ナママオワリマシタ。ゴメンネ」


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