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Key=F# カポ=2 | E6 ≒ F#m ≒ 森や 湖が 歌ってい る E6 ≒ G#m ≒ 静かに 静かに たゆとうよう に F#m ≒ E6 ≒ 銀の 滴 降る F#m ≒ E6 ≒ 銀の 滴 降る 降る F#m ≒ G#m/F#m G#m/F#m G#m/F#m G#m/F#m 銀の 滴 降る 降る 降る よ F#m E6 ≒ ≒ コタンの屋根 に E6 ≒ F#m ≒ 森や 湖が 歌ってい る E6 ≒ G#m ≒ 静かに 静かに たゆとうよう に F#m ≒ E6 ≒ 金の 滴 降る F#m ≒ E6 ≒ 金の 滴 降る 降る F#m ≒ G#m/F#m G#m/F#m G#m/F#m G#m/F#m 金の 滴 降る 降る 降る よ F#m E6 祭りの 上 に F#m ≒ E6 ≒ 天の 滴 降る F#m ≒ E6 ≒ 天の 滴 降る 降る F#m ≒ G#m/F#m G#m/F#m G#m/F#m G#m/F#m 天の 滴 降る 降る 降る よ F#m E6 すべての 上 に |
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二十数年前、アイヌ民族のユーカラを取材して、LPアルバムを作った。 児童合唱団のために書き下ろしたのだった。 僕が企画して詞も書き、当時まだほぼ無名の坂本龍一氏に作曲を、 そして当時シュガーベイブの山下達郎氏にコーラス指導をお願いした。 先だってぼく自身のアルバムの編曲を龍一さんに、 演奏をシュガーベイブにやってもらって、彼らの才能にかんじいっていたからだった。 このアルバム「懐かしいくらし」はジャケットがぼくの入院中にかってに決められてしまい、 結局発売はしたものの、そのレコード会社をやめさせてもらうことになった。 歌、歌唱のできを棚に上げて言えば、なかなか臨場感のある録音だったといっていいだろう。 しかし、あのジャケットが店頭にあることを考えると 一枚も売れてほしくないと、当時は真剣に思っていた。 |
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閑話休題。 ぼくら三人はリハーサルや録音のためになんどもスタジオにあしを運んだのだが、 そのうち、龍一さんは『ピアノのうまいお兄さん』、達郎さんは『歌のうまいお兄さん』と 子供たちからよばれるようになっていったのだった。 それだけミツな関係を合唱団の子供たちと作ったといえるかもしれない。 スタジオミュージシャンはジョージ川口さんなどの チョーオオモノにお願いしたのだが、作編曲の龍一さんの一種の奇行は思い出になっている。 |
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その日はリズムセクションの録音であったが、いつも遅れ気味に登場する龍一さんは、 その日も先輩ミュージシャンをたっぷり待たせていた。 いらいらが本格的にかれらの顔に浮きでてきたころ、 ひょっこりあらわれた龍一さんの手には五線紙がたった一枚、ひらひらしていた。 わざわざこれを言うのは当時の常識としては、 綺麗に清書されたパート譜がそれぞれの譜面台に前もってのっているのが当然だったからだ。 その一枚とは前もってぼくが渡した歌詞に曲を書いたいわば「走り書き」だ。 ディレクター氏は相当慌てていたし、 すでにこの企画ものをひきうけてしまったことを後悔しはじめていたかもしれない。 ぼくにおしつけられたといった展開で作編曲を依頼した、なんだかよく分からない ジーパンの青年と、当時一流の演奏者との間にたってやってられない気分だったか。 |
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龍一さんはそのキッタなそうな一枚の紙を持ってスタジオに入っていった。 これを・・・ といって彼らの眼前にさしだす。 何だって・・・ 実際ひくいうなり声を出したひともいた。 うしろをついていったぼくが聴いたのだから間違いない。 しかしあきれがおのすぐ裏側に、龍一さんの態度とその譜面の内容に ややのまれている様子がかいまみえる。 とにかく録音は始まった。 スタジオの中央で指揮をしているのが龍一さんだか、みんな見ているのかいないのか。 しかし、進行するにつれて、龍一さんとその曲は確実に演奏者はもちろん、 その場のすべてを支配していったのだった。 こうして録音は終了し、龍一さんは、お先に・・・と帰っていった。 気がつくとぼくたちの手元にふしぎな雰囲気の録音テープがのこされていたのだ。 『天のしずく』もそのなかにあった。 |
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