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歌のはなし |
曲名 |
公表作品 |
作詞者 |
作曲者 |
010 |
横浜ベイ・ブリジ |
『ルノアールの雲』
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及川恒平 |
及川恒平 |
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ありを見てるとあきないね
それとクモもね
クモじゃなくクモね
カメはにげないから好きだ
ひきだしの中で右をむいて左をむいてねむってしまった
ドンドンドンガラカッカ ドンドンドンガラカッカ
二階の家はうるさいね
たっくさん ともだち きてるみたい
はさみが右手じゃまだへただ
練習しなけりゃ
練習しなけりゃいっしょう左ギッチョだぞ
ひっこしは好きじゃないな
つかれるし まんがをぜんぶ捨てろって言われた
ひっこしはでもすこし好きだ
あたらしいうちはいい いいにおいがするからね
こんど越すのはよこはまベイ・ブリジ
よこはまベイ・ブリジ
よこはまベイ・ブリジ
よこはまベイ・ブリジ
よこはまってどんなトコ
よこはまベイ・ブリジ
ベイ・ブリジ ベーイ・ブリージ
“おなかがすいた”
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03年 夜景 |
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ヒダリギッチョという言葉はどうやら死語の仲間入りですか。
『ふりだし』がそろそろ棺桶に足をツッコンデいることを知ったときもびっくりしたけれどね。
先日、テニスの戦術の説明をしていて、
なんのまよいもなく『集中砲火』というのを使っている自分にふと気がついて、
これはひょっとしてつたわってないぞと思い、
その場のわこうどに確かめてみたら、『集中放火』と理解していました!
とかとかとか・・・
ぼくの年代では左利きは矯正のうきめにあうのは、それほどめずらしくないでしょう。
ぼくもそのひとりです。
今では、字を書くことだけはりっぱな『けんじょうしゃ』です。
ぼくの体験談はこうです。
右手ではまっすぐに線がひけなくて、小さな三角定規を用意して、
漢字の横棒はすべて、それを使用していたのです。
今でも、そうやって結構すばやく字が書けるはずです。
しかし、なんの役にもたたない技術を身につけたものですね。
そして定規と決別したときから、元祖『まるもじ』クンがたんじょうしたというわけです。
だから、今でも字をほめられることがあったりすると、クライカコを思い出すのでした。
チャンチャン。
あれー、歌についてはどこかにいつてしまいました。
(ここまで2001年)
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ではではでは、左利きについて書いて、それだけで終わってしまった前回のつづき。
この歌自体のこと。
この歌はひとり言を歌にしたいという発想。
それも具体的なやつ。
小さな子供が、ある時期しきりにトナエテいるような、本物をです。
前後の脈絡からは、解放されているというか、欠落しているというか。
別役実さんの芝居の中に出てくる老夫婦の日常のさりげない会話です。
よく聞いていると、実は二人の会話はすれちがっていて、
もはや会話といっていいのかアヤシイやつ。
それをひとりでやっている気分ですね。
今思えば、説明的になっている部分が気に入らないけれど、これ以上説明やめたら、
なにかつたわるかなあと、思ったりもします。
思い出しました。
この歌ができあがったとき、起承転結のある言葉の流れを考えつかなくったって、
その断片をあつめれば、歌なんて出来ますよ!
と誰かに言いたい気分になったのでした。
(以上2002/3/19記)
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