歌のはなし 曲名 公表作品 作詞者 作曲者
009 靴を繕う みどりの蝉(CDアルバム) 及川恒平 及川恒平

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(前奏)    C  C6  CΔ7  C6


C C6  CΔ7  C6   C   C6   CΔ7  C6 
空 の つり   ふね   息  の  あら し 

G7  ≒    Gm  A7    C  C6  CΔ7  C6    
虹の 木洩日  胸を 射抜く  春  の  流れ

C  C6   CΔ7  C6   C   C6  CΔ7  C6 
雨 の   まな ざ  し   雲   の  炎

G7   ≒   Gm  A7    C  C6  CΔ7  C6    
風 の 掛橋  渡っ た日の  春  の   砦


  Am9  ≒      ≒        ≒
靴を   繕い  眠りに  就きます


 (間奏)  C   C6   CΔ7   C6  


C   C6    CΔ7  C6  C   C6  CΔ7   C6 
野火 の  フィ ヨル  ド   衣  の  吹雪

G7   ≒   Gm    A7   C   C6  CΔ7  C6
 水の 黄昏   浴びて 歩む  春  の  眩暈

C  C6   CΔ7  C6   C   C6  CΔ7   C6 
海 の  あだし   野    蝶  の  迷路

G7   ≒   Gm   A7     C  C6   CΔ7  C6 
 花の 漁火   並ん だ 日の  春  の  こだま


  Am9  ≒      ≒     (rit.)   ≒ (end)
靴を   繕い  眠りに  就きます


一本の大木の写真02年 八甲田


 以前この歌を説明するとき、俳句のような歌を作りたかったと言ったらしい。
ほんとうに言ってしまったのか…
いや、確かにそのような野心をいだいていたのは確かだから、
言ってしまったのならしょうがない。 開き直ってどうするのだ。
 
 定型短詩にふれるとき、そのサイズに目が行きがちだけれど、
実は、俳句、短歌、川柳それぞれ独特の、世界観が重要であることを思い知らされる。
 この世界観を横目にして程度では、いくら字数をそろえたところで、
それぞれのジャンルの作品にはならないということだ。
 軽ろんじるつもりは毛頭なくても、たとえば出来ないというのなら山ほどある。
 開き直るというのはクセにもなる。


 そのモデルケースがこの「靴を繕う」だろう。
ここに示された風景、そして風景と作者との距離は、
あきらかに俳句でも短歌でも川柳でもない。
どちらかというと、近代以降の詩にあるカタチか。
しかし、ここでそのあたりをさ迷っていても
「実戦的ではない」ので歌としての工夫は、ということで話を進めよう。

 この歌は 空、雲、息、雨、というように
ニ音節の語が並ぶのだが、この語たちはいずれも抑揚もおなじである。
 そういった制約のもとに作り進めた。
つまり、このニ音節の語に助詞「の」をはさんで、
やはり同じ抑揚の四音節、三音節の語がつらなっている。
 

 歌としてどれほどの効果を獲得できたのか、わからない。
今のところ、実感としては当初期待していた効果は「カンジラレナイ」である。
スムーズに歌えることはたしかだ。
西洋音階に日本語をあてはめていくと、
必ずクルシイ部分がでてくるものだが、この「靴を繕う」では、それが少ない。
 にもかかわらず、歌として「一歩リード」かというと、そんなに甘くはなかった。
 つまり、最大の問題点は、このスムーズさが、
かならずしも歌としの魅力に結びついているわけでもない、ということだろう。

 さて、そう感じてしまうぼくの耳もまた時代としての耳なのか、
そしてこの作業が、無駄なテーコーなのか、それこそ、時代に決めてもらうしかないのだろうか。

 

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