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(前奏) C C6 CΔ7 C6 C C6 CΔ7 C6 C C6 CΔ7 C6 空 の つり ふね 息 の あら し G7 ≒ Gm A7 C C6 CΔ7 C6 虹の 木洩日 胸を 射抜く 春 の 流れ C C6 CΔ7 C6 C C6 CΔ7 C6 雨 の まな ざ し 雲 の 炎 G7 ≒ Gm A7 C C6 CΔ7 C6 風 の 掛橋 渡っ た日の 春 の 砦 Am9 ≒ ≒ ≒ 靴を 繕い 眠りに 就きます (間奏) C C6 CΔ7 C6 C C6 CΔ7 C6 C C6 CΔ7 C6 野火 の フィ ヨル ド 衣 の 吹雪 G7 ≒ Gm A7 C C6 CΔ7 C6 水の 黄昏 浴びて 歩む 春 の 眩暈 C C6 CΔ7 C6 C C6 CΔ7 C6 海 の あだし 野 蝶 の 迷路 G7 ≒ Gm A7 C C6 CΔ7 C6 花の 漁火 並ん だ 日の 春 の こだま Am9 ≒ ≒ (rit.) ≒ (end) 靴を 繕い 眠りに 就きます |
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02年 八甲田 | |||||||||||
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以前この歌を説明するとき、俳句のような歌を作りたかったと言ったらしい。 ほんとうに言ってしまったのか… いや、確かにそのような野心をいだいていたのは確かだから、 言ってしまったのならしょうがない。 開き直ってどうするのだ。 定型短詩にふれるとき、そのサイズに目が行きがちだけれど、 実は、俳句、短歌、川柳それぞれ独特の、世界観が重要であることを思い知らされる。 この世界観を横目にして程度では、いくら字数をそろえたところで、 それぞれのジャンルの作品にはならないということだ。 軽ろんじるつもりは毛頭なくても、たとえば出来ないというのなら山ほどある。 開き直るというのはクセにもなる。 |
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そのモデルケースがこの「靴を繕う」だろう。 ここに示された風景、そして風景と作者との距離は、 あきらかに俳句でも短歌でも川柳でもない。 どちらかというと、近代以降の詩にあるカタチか。 しかし、ここでそのあたりをさ迷っていても 「実戦的ではない」ので歌としての工夫は、ということで話を進めよう。 この歌は 空、雲、息、雨、というように ニ音節の語が並ぶのだが、この語たちはいずれも抑揚もおなじである。 そういった制約のもとに作り進めた。 つまり、このニ音節の語に助詞「の」をはさんで、 やはり同じ抑揚の四音節、三音節の語がつらなっている。 |
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歌としてどれほどの効果を獲得できたのか、わからない。 今のところ、実感としては当初期待していた効果は「カンジラレナイ」である。 スムーズに歌えることはたしかだ。 西洋音階に日本語をあてはめていくと、 必ずクルシイ部分がでてくるものだが、この「靴を繕う」では、それが少ない。 にもかかわらず、歌として「一歩リード」かというと、そんなに甘くはなかった。 つまり、最大の問題点は、このスムーズさが、 かならずしも歌としの魅力に結びついているわけでもない、ということだろう。 さて、そう感じてしまうぼくの耳もまた時代としての耳なのか、 そしてこの作業が、無駄なテーコーなのか、それこそ、時代に決めてもらうしかないのだろうか。 |
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