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歌のはなし |
曲名 |
公表作品 |
作詞者 |
作曲者 |
008 |
歌よ |
『みどりの蝉』
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及川恒平 |
及川恒平 |
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4/4系ですがリタルダントルバートの嵐でかまわないのでしょう。 |
1
C ÷
鏡の中の 手
Dm7 G7 C
窓 不 意打つ 青空
Dm C
跣の 少女が
Dm F G7
駆け足で 道を曲がる
C△7 ÷ ÷ ÷
常なる日々よ 心につもれ
C△7 ÷ C ÷
えまいと なって 目覚めよ
2
C ÷
陽射しの中の 絵
Dm7 G7 C
秋 知らない店先
Em B7
大きな鞄
Dm7 G7
旅の役者たちが通る
C△7 ÷ ÷ ÷
常なる日々よ 心につもれ
C△7 ÷ C ÷
えまいと なって 目覚めよ
3
C ÷
時計を見ない日
Dm7 G7 C
午後ぽとりとはなびら
C Em G7 C
風の日 寺院の廊下 のその先
F Dm Am Adim G7
歌よ 歌よ 歌よ 歌よ
C△7 ÷ ÷ ÷
常なる日々よ 心につもれ
C△7 ÷ C ÷
えまいと なって 目覚めよ
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歌をつくるにあたって、苦労したからといって満足にたるものができるとはかぎらない、
のは知っていても、苦労したことは忘れられない。
この歌は、そんな苦労のすえにうまれたのデアル。
どこかというと、「歌よ〜」という、サビのところだ。
この部分については、どこかでごちゃごちゃ弁解してきたのだけど、くりかえすと、
ポール・ヴァレリーの著作中に見た『レタ、シャンタン』(歌っている状態)が、はじまりだ。
当初、そのまま仏語で歌っていた。
ところが、ぼくの語学力では発音も当然だめだが、
歌うときの心のよりどころとして、まず無理だった。
そこで、言葉さがしの放浪が始まったというわけだ。
しかし、ほかの、風景を書き取ったところは、ほぼ最初の思いつきのままだ。
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それぞれの風景のテキストは、今ここで白状できるものもあれば、
すでに記憶の底にしずんでしまったか、直接にはないものもある。
自作の歌について何か言うのは、実際ムズカシイ。
簡単に言えてしまえることだってあるのだけれど、なぜか言いよどんでしまう。
だから「キホンテキ」には、なるべく解説しないことにしている。
これは例外なのです。
理由その一。 この風景はぼくが実際に見たわけではない。
理由その二。 訊ねられてしまった。
つまり、この歌の3番にでてくる寺院のことだ。
この寺院は少なくとも日本にはない(はずだ)。
僕自身が「おそらく」という但し書きつきで、言うことだけど、
辻邦生作の「廻廊にて」のどこかに出てきたものだ。
ただし、おもいちがいの可能性もたかい。
などと、たんなるベンカイかな… (平成13年記)
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現在、この歌にかんして思い起こせる事物をならべてみる。
2番の風景はヨーロッパの映画「旅芸人の記録」にあったか。
1番の青空はコンピュータゲームの、
すくなくとも僕にとっての傑作「クーロンズゲイト」の中で
九竜城内での出来事から突如、過去の世界にとんだときに見た「青空」か。
はだしの少女は、四谷シモンさんの人形からかな。
(2002/3/21記)
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