ろくもんせん
及川恒平 四角佳子 小室等
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六文銭 & まるで六文銭のように & 最後の六文銭

  実は、軽い気持ちでこのページを追加したのですが、
いざとなると、何をどう書いていいのやら。
というのも、この六文銭、僕、及川が所属していた期間は、けっして長くないものの、
創立者の一人である、小室等にとっては、結構長い物語だったりするのです。

先日、現在の、小室、おけい、及川の活動ユニットである、
『まるで六文銭のように』の話になり、この三人が同時にいた六文銭を、
なんといえばいいのか困っていたところ、
誰かが、坂崎氏だったかが、『最後の六文銭』と言ったのです。
「そりゃいいや」とひざを打ったのは小室でした。
なんだか決まりです。

ちなみに『まるで六文銭のように』というネーミングは、三人としては二度目の、
イギリス館コンサートのおりの、キャッチフレーズが生き残りました。

と言うわけで、六文銭を語るには、僕は役不足です。
つまり、『最後の六文銭』しか知らないからです。
それで。いまさら、何ですが、『最後じゃない六文銭』を説明できる人、
何か、紹介記事などの書物があれば教えてください。たよりにしてますです・・・

最後の六文銭、を簡単にいうと

 1969年、小室等が、
別役実のミュージカル仕立ての芝居『スパイものがたり』に作曲者として参加したのです。
このとき、その芝居での数日間の生演奏のために結成されたのが、
小室等と六文銭、というわけです。
もちろん、六文銭という名前はすでにグループ名としてあったのですが、
開店休業状態でした。
そして、この芝居が終わると同時に解散されることが前提だったのです。
では、なぜ続いたのかと言うと。
もちろん、小室自身のアングラ的ではあるものの知名度によるところが大きいのだが、
学園祭に、そのときのメンバーのまま出演して、けっこううけたことが発端でした。

 さて、及川はというと、出演したら交通費がもらえ、
おまけに弁当まで支給された喜びを、しみじみとかみ締めたのです。
当然ながら、何とかこのグループが、
長続きしないかと、画策したのは言うまでもありません。
ちなみにこのときはまだおけいちゃんは、参加していません。
 ところで話はじゃつかん横道にそれてしまうが、
及川も実は、演劇にかかわっていました。
この別役氏の芝居を上演した際の劇団で、
前年、新宿のピットンシアターという場所で、初舞台を踏んでいます。
「カンガルー」という芝居で、覆面の歌手という役どころでした。

かんわきゅうだい。
「歌はくえる」、これにはびっくりしました。
それに・・・きたない格好でもかまわないラシイ・・・これにもびっくりしたのです。
僕は、一生懸命、あーめーがーそーらーかーらーふーれーばーと歌いつづけたのでした。

つまり、僕がいのちガケでした就職運動に、
小室さんはまんまとのせられたと、いえなくもないのです。
、フォークがブームになると、予言できた人がいたとは考えられないが、
今思えば、世の中は着々とフォークのブレークに向かっていたのです。
僕ら六文銭も、おけいを迎え入れるあたりでは、音楽以外には見向きもしない、
フォークレース場の、遮眼帯つきのりっぱな競馬うまだったのでしょうか。

続く(カナ?)

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