夢眠のフォーク畑 028
あの頃、巷に流行るもの
フォーク畑表紙へ  ホームへ


(承前・・・のつもり)
廃れるからこそ流行である、とは思う。
もし、それが10年20年と支持され続けているのであれば、
それはもはや流行ではなく定番であり、文化と呼ぶにはいささかの抵抗はあるが、
まあ、定着した風俗とは言えるかもしれない。
だから、今、振り返るに、結局、あの頃のフォーク・ソングは、
残念ながら単なる流行でしかなかったのだ。
第2次大戦直後の一時期、わが国にもジャズ・ブームがあったそうな。
と、いっても洋楽ならすべてジャズと呼んでいたらしいのだが、
その後、タンゴやらシャンソンやらカントリー&ウエスタンやらが流行し、
ロカビリー・ブームからグループ・サウンズへと繋がっていく。
フォーク・ソングを含めたある種の音楽ジャンルが一世を風靡し、
やがて廃れていくのは(音楽産業の戦略もさることながら)、自然の摂理でもある。
それまでに聴いたことのない音楽が鳴っていれば、世間の耳目を集めるだろう。
だが、物珍しいだけで聴いていれば、やがては慣れる。
いつか飽きて、次なる「新しい音楽」に耳を傾けるのだ。
流行の入れ替わりである。
ただ、古い音楽が廃れていったのは事実だけれど、
それは消えてなくなったわけじゃない。
ちょうど、舞台の上に勢揃いした役者の誰にスポット・ライトが当たっているのか、
というくらいのものだ。
目下、売り出し中の二枚目俳優には嬌声が飛び交うかもしれないが、
舞台の上には、脇をきっちり固める渋い老優だっているのだ。
ならば、ボクはスポットが当たっていようといまいと、
その脇役の老優を見続けていこうと思った。
その老優、つまりフォーク・ソングってやつは、実に取っ付きやすいのであった。
自分にも歌え、弾けるんじゃないかと思わせるものがある。
しかも三波春夫や美空ひばり(別に、五木ひろしと都はるみ、でもいいけど)みたいに
着飾る必要もなく、GパンにTシャツでいいのである。
どうも、昨日まで教室で歌っていた格好で、昨日まで歌っていた曲を、
今日からは人前で歌っていいみたいな雰囲気なのである。
曲調だって、よく言えばシンプル、悪く言えば単純。
事実、今までギターなんぞ触ったことがないという連中だって、
ひと月かふた月、ちょっとその気をだせば、まあ、それなりにはマスターできる。
歌うだけならなおさらだ。もっとも凝り始めたらきりがないし、
一部の教則本のような「1週間独習」ではちょっと無理かもしれない。
さらに、他人様に聴かせるレベルかどうかは・・・。

「まだフォーク・ソングなんかやってんのかよ」
ボクにそう言った友人(?)は、エレキ・ギターに持ち替えていた。
「時代はロックでしょ」
それはそれでいいのである。ボブ・ディランだってロック志向を強めたのだ。
かつてのフォーク・ファンがロックに行こうが演歌に転向しようが、ボクには影響ない。
どうぞどうぞ、ってなもんである。
ただ、フォーク・ソングの悪口は、別れた女の悪口を言っているみたいで、
どうにも聞き苦しい。
男たるもの、それではいかん! のである。
"なんか"はないだろ。"なんか"は・・・。
フォーク・ソングというものは、まあ、通過儀礼的に
青春の一時期にとりあえず聴いてみる程度の価値しかないのだろうか?
そんな具合にボクのフォーク・ソングへの拘泥が始まる。
言ってみれば、ボクの依怙地から始まったのだし、
ややあざとく、別れたばかりの傷心の女性に目をつけた、とも言えるかもしれない。
そもそも英語は苦手だし、
折りしもベトナム戦争の真っ最中。輸入元のアメリカという国は、
当時からどうにも胡散臭いのだが、あの国の文化とやらは結構、魅力的に映った。
経済や軍事では及びもつかないだろうが、こと文化的側面ならアノ国の連中にできて、
コノ国でできないはずはない。そう考えたのである。
いやはや、ぬかるみへの第一歩であった。
(以下、次回に続く・・・かもしれない)
                                                 夢眠

フォーク畑表紙へ              ホームへ

Copyright©2001-2003 Kouhei Oikawa(kohe@music.email.ne.jp)