夢眠のフォーク畑 016
シンガー・ソングライター
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さて、と。何回か和製フォークに触れて義理も果たした(?)ことだし、
本場の話題に戻らしてもらいます。
まあ、リクエストなんぞにお応えするのもやぶさかじゃありませんけどね。
 待望のボブ・ディランです。
で、ここからウディ・ガスリーまで遡ろうか、という魂胆です。
初めからウディじゃ知らない人のほうが多いんじゃないか、と。
ディランの知名度をかったわけです。名前くらいは知ってるでしょ?
極めて大雑把な言い方になりますが、60年代のフォークが少しずつ変わっていって、
70年代にはシンガー・ソングライターなどと呼ばれるようになります。
いわば自作自演。ジェームス・テーラーとかキャロル・キングね。
編集長に敬意を表してジョニ・ミッチェルなんかも入れときますか。
要するにあのへんです。
夢眠の青春時代です。
 呼び方が変わったということは、ま、単に商業的戦略かもしれませんが、
好意的にとらえれば、中身も変わっていったわけで……。
そのへんを少しばかり。

 わが国でもフォークからニュー・ミュジックとなり、今じゃJ−POPだもんね。
そういえば先日覗いたCDショップで及川光博と及川恒平が並んでました。
うーん、なんだかなあ……。
いや、別にそんだけのことですけど、好き嫌いは別にして、
なんか十把ひとからげって気がしないでもない。
閑話休題
 で、ボク、シンガー・ソングライターへの流れを作ったのはディランだと思っています。
64年発売の彼の4枚目のアルバム「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」が、
その道筋をつけたんじゃないか、と。
 前年に出た「フリーホィーリン」と較べても一目(耳か?)瞭然です。
 歌詞の内容がまるで違います。
よほど英語に堪能な人じゃないと聴いただけじゃわからないでしょうから、
国内盤の歌詞(訳詞)カードで較べてみてください。
プロテスト・ソングなんか欠片もありません。
ラブ・ソングっていいましょうか、個人的感情の吐露って感じです。
 それまでの、フォーク・ソングとはかくあるべしという観点からはまるで外れます。
でも、嫌いじゃありません。
ヘタに観念でデッチ上げたプロテスト・ソングなんかより、ずっといい。
その頃からですもん。
ボクが「ラブ・ソングって究極の反戦歌なんじゃないか」って思い始めたのは……。

 さらに翌65年のニュー・ポート・フォーク・フェスティバルに、
ディランはフェンダー(というメーカーのエレクトリック・ギター)を抱えて登場します。
フォークのプリンスがその座を捨てて、ロックに転向したと大騒ぎになった事件です。
あの温厚でありながら、かつ頑固(?)なピート・シーガーですら
「電源を切れ!」って叫んだそうですから……。
でもね、ディランはそのときに歌いたい歌を歌っただけなのよ。
きっと、ね。
彼が憧れ尊敬していたウディ・ガスリーにしたって、
一連の放浪生活を歌ったのは歌いたかったからで、
それを歌うことが自分に忠実だったからで、なにも使命感や他人に強制されたからじゃない。
だから、そんなことを知らない第三者でも、
歌を聴いて感動したり影響されたりするんだ、ってボクは信じています。

自作自演の歌手がそれまでにいなかったわけじゃないし、
本物のシャンソンなんかはまさに自作自演じゃなきゃ認められないとか。
けど、前に挙げたシンガー・ソングライター連中は確実にフォーク・ブームが生み出したのだ。
そんなことを思いながら、今夜は『ブルー』(ジョニ・ミッチェル)にしようか、
『静かなまつり』(及川恒平)にしようか、と迷っています。
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