夢眠のフォーク畑 012

神 田 川

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ほぼ40歳以上のフォーク・ソング好きに、好きな歌手・グループ
(気がついている人もいるかもしれないけど、アーチストと芸術って言葉を意識的に避けてます。
この件はいずれまた)を聞くと、必ずといっていいほど『かぐや姫』が出てきます。

人気あるんだなあ。
まあ、ボクだって決して嫌いってわけじゃない。
『神田川』なんかシングル・カットする前から友人に聞かせていたもん。
あれ、コードも簡単だしね。
途中でオクターブ上がるのがちょい辛いけど。


その歌を聴いていた女性が言いました。
「いい歌ねえ、でも……男のくせにエラく長風呂なのねえ」。
最近ですが、知人の小学3年生の娘にはこう言われました。
「そのヒト、なんでドライヤー使わないの」。
要するに、彼女たちにはリアリティーが感じられなかったわけで。

あの頃のことですから、女性がショート・カットで、
男性が背中に届きそうなロン毛ってのはありえます。
ね? 恒平サン。
これならつじつまが合う。
でも、作詞者自身の言によれば真相は……。
男風呂に中庭があって、その池で鯉だか金魚だかが泳いでる。
彼はそこでエサをやったり、つついたりしてるんで、ついつい、彼女を待たせてしまう、んだとか。

あの歌以降、初めてこの川を見た連中は概ね絶句します。
地方出身者なんか絶対と言ってもいいくらいです。
田舎のせせらぎとは違います。
歌から想起するようなロマンチックな雰囲気はかけらほどもありません。
ホント、汚い川です。
あれはドブです。
おそらくは魚の一匹も住んじゃいません。
だから男は池の魚と……なぞとも思います。
またね、この川が早稲田とか御茶ノ水とか、
よせばいいのに、学生の多い街を流れてます。
青雲の志を抱いて上京した若者の、都会への幻滅の第一歩です。


でもね、と思うんです。
好きな人と一緒にいた時間ってのは、いいもんです。
ケンカだっていい思い出です。
別れたあとならなおさらです。
鼻の奥がツーンとしてきます。
だいたい臭うような川だって、3か月も暮らしてりゃ慣れるもんです。
だから、作詞者にとっては、多少の脚色はあるにせよ、
あの歌はノン・フィクションだったはずです。

少し遅れはしましたが、あの時代の空気を吸った者として、分かる気がします。
ボクの時代は手拭じゃなくタオルでしたけどね。
ただ、三畳一間に住むようなビンボー人の気持ちは、残念ですが、分かりません。
ボクの独り暮らしは四畳半一間で始まりましたから、神田川より5割増の裕福さです。
流しもついてましたし、ドライヤーだって持ってたもん。


で、なんか日記の文章みたいなもんでも歌になるってんで、
まあ、そう言った類の歌がはびこりました。
誰が言ったか、揶揄の意味もこめて「四畳半フォーク」。
せめて私小説フォークとか何とか、なかったんでしょうか。

でもね、やっぱ、二番煎じはダメです。
神田川を超える四畳半フォークには出会えませんでした。
あえて言うなら、ちょっと毛色は違いますが、森田童子の詞は泣けたくらいです。
これってやっぱり、前に書いた「身の丈にあった言葉」の勝利だと思うんです。
作者には技巧だってあるわい、と怒られそうですが。

この詞にひとつだけ不満を持っています。

「若かったあの頃、何も怖くなかった」

この繰り返しの次の部分は、最後の1回だけにして欲しかったなあ。
作為的に過ぎますか。

「ただ、あなたの優しさが怖かった」
それに……。
ボク、『マキシーのために』のほうが好きだった……。

                                          夢眠




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