日々のこと70 |
六文銭'09 |
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小室等・こむろゆい・四角佳子・及川恒平 |
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僕の属している音楽グループの、流れがここのところ、大きくかわった。
「日々のこと」を書くのは、一年ぶりだ。
六文銭'09のスタートを報告するには、ここがふさわしいだろう。
まず、このグループの新しいCDアルバムの録音を進めているのを、
報告しておきたい。
17曲を録った。
つまりは、17曲入りのアルバムになるはず。
というのは、まるで六文銭のように、のアルバムも、
18曲録って、その全てをアルバムにいれてしまった。
選んで、どれかを落とすことができなかった。
音楽的には、こむろゆいの加入は大きい。
本来持っている力を存分に発揮するには、
まだ時間が要るのだろうけれど、
すでに、その片鱗は見せている。
四角は、天性の存在感を、ますます増幅させている。
六文銭の「要」だ。
小室は、フォークというジャンルを脱してしまった。
日本フォークの始祖のひとりが、いいのだろうか?!
さて、彼が書いた「六文銭'09」についての文章が、
関係サイトにのせられている。
以下遅ればせながら、転載させてもらう。
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1968年に結成された時から六文銭は、メンバーの出入りが頻繁なユニットだった。それは、メンバーを固定して、グループとしての熟成を目指すものではなく、“うた”と“おと”を模索し続ける六文銭という「場」であったのだと、今振り返ってみて思う。
2000年に及川恒平、四角佳子、小室等の3人でなにげなく始まった「まるで六文銭のように」の活動には、いつの間にか8年の歳月が流れていた。気がつけばそこに六文銭という「場」も戻ってきていた。
及川は、独特の言葉感覚を表象させる自作詩に並行して、糸田ともよ氏をはじめ、自身以外の詩人にも言葉を求めうたづくりを続けている。
小室も70年初頭以降からの谷川俊太郎氏の詩とのコラボレーションを断続的に継続しながら、近年、中原中也の詩に作曲したのが縁で佐々木幹郎氏に出会い、氏の詩に曲をつける機会も増えるなど、詩との交流も絶えない。
及川と小室のうたづくりの作業は、70年代に模索した、詞と詩の間の往復運動の継続だと言える。言うまでもないことだが、その作業は時間を70年代に戻すということではない。サブカルチャーとして生きた70年代を今に生きるということだ。
「まるで六文銭のように」の8年間を支えたのは四角佳子の存在だった。かつての六文銭は四角加入後1年で解散、四角の音楽も同時に終止符を打たれた。28年間のブランクを経て戻ってきた四角は、かつての六文銭でやり残したことを取り戻すかのように、「まるで六文銭のように」の8年間で変貌し、その個性=個声でユニットに奥行きを与える。
「場」の出入りも戻ってきた。今は亡きジャズ・ピアニストの本田竹廣氏をはじめ、多彩な面々が出入りするライブハウス、高円寺JIROKICHI、その周辺の波動で培われた唱法を携えて、こむろゆいが新加入。70年代を今に生きる「場」に、70年代生まれのメンバーがいるということ、それもまた六文銭の「場」だ。
こむろゆいの加入を機会に、「まるで六文銭のように」というユニット名は返上し、「六文銭 '09」と改めることにした。及川恒平、小室等、四角佳子、こむろゆいによる、新生「六文銭 '09」の誕生、すなわち「場」の復活だ。
2009年4月リリース、新生「六文銭 '09」のファーストアルバム“おとのば”は、復活した「場」の報告でもある。
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