日々のこと60
文字のある光景
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 豆粒ほどの「恵」と書かれた紙片が落ちていた。
酒を飲み、たわいもくおしゃべりに興じていたぼくらは、
ちょっとばかりしんとなった。

 なぜそこに落ちていたのか、わけは結局不明だった。
 もし、何も書かれていないものだったら、
その大きさからいっても見逃したかもしれない。 
 文字が有ったというだけで、
ぼくらの目は、この小さな紙片に一瞬釘付けになり、
そこに落ちていた理由を考える。 
 手かがりは「恵」というその一文字。

 そのじつようてきとは思いにくい紙片の大きさに、
考えを巡らせた。
 そして行き詰まると、どうしても「めぐみ」という意味に、
推理する手がかりを見いだそうとするのだった。


 ふだん頻繁に行き来する跨線橋の真ん中あたりに
「霊」という文字が書かれていた。
 意識してのことなのかどうか、
インクが数本の筋となって流れ落ちている。
 そうして通りかかったぼくは、
獲物が罠にかかったみたいに、
そこに書かれている訳を考えてしまう。

 書いた人物を想い描こうとする。
それができないとなると、
周りとの関係を理解しようとするのだ。
 しかし、街中のありふれた場所である。
 それも人や車の往来は一日中とぎれることもないような。

 やはり、これだけで、ストーリーを作るには限界があるのだ。
「霊」という文字の意味に、
好奇心は、自然に向かうのだった。

 それにしても、
立ち止まってカメラに納めているぼくはぼくで、
すでにあやしい。
 左端にある、得体の知れない文字も、気になる。
 


 見えにくいが、このピンぼけ写真の右上方に、
数字の「1」がはっきりと写っている。
 もちろん、
エレベーターの停止する階を示すものであるのだけど、
 なぜこの字だけが、ぼけもせずに、そこにあるのだろうか。

 たぶんカメラのメカニズムに詳しい人なら説明がつくのだろう。
 しかし、それまではぼくは、
この数字だけがぼけもせずに写ってしまった写真を、
不思議な暗示として意識しつづけている。

 文字は、実際の風景以外の風景を見せてくれる。


 繁華街の電飾看板のひとつに、
「サーカス」ということばを見つけたときの、郷愁感。
 ただし、この店に足を踏み入れる勇気はない。

 飲食店とはまるで無関係ではないか。
いや、だからここである必要があるのか。
 おおげさとは気がついていても、
異界への入り口であるかとすこしは思うのだった。
 入ってはいけないのだ。

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Copyright©2001-2003 Kouhei Oikawa(kohe@music.email.ne.jp)