日々のこと 56
デジカメnikki vol.7
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 よく、お寺の入り口に「一日一善」「おせん泣かすな馬こやせ」とかの標語風の書き物が掲げてある。
そんなつもりでぼんやり通り過ぎようとした僕だったのだが、出来なかった。
 実に場所をわきまえた作品である。今こうして見ていても、この言葉以上のものは、とっさには思い浮かばない。こういう場所に書かれたものにありがちな、押し付けがましさはない。なおかつこのインパクトである。宗派をこえている。
 ある小学校の校門に堂々と書かれていた。
まっすぐな指摘はこれもまた、強いインパクトがある。注釈をつけるなら、ここでの「自分の」はもちろん「おまえの」である。直接的な指名をしないところは、教育の場であり、名指された者の更正の脚をひっぱってはならないとの配慮なのである。
 普段から善と悪についてまず考えていれば、間違いはない。そして、算数とか理科とか社会とか国語とかについて考えるのは、それから先の問題なのである。
 しかし、その善とか悪とかをどうのこうの言うよりも、さらに大切なことがあるのである。つまりそれは見直すという行為そのものである。それぐらい心というものは、幼いとはいえすでに汚れていることを指摘している。赤い文字で強調してあるからわかりやすい。
 すずめは地面で食べ物を拾ったり、せいぜい木にとまって休んでいたりするものと思っていた。
 これは壁にはりついた十数羽のすずめである。シャッターを押したときでもこの数だったけれど、数十羽がとまっている瞬間もあった。
 たしかに爪の引っかかりやすそうな素材だったように見えはしたけれど、だからといって、こんな格好でわざわざ壁にはりつくものなのだろうか。
 遊ぶのは人間だけという考えもあるらしいけれど、すずめが遊んでいるとしか思えなかった。「遊んでいる」のだ、という理由としては、ついまねしてみたくなる、というものだが、どんなものでしょう。
 とくに問題はないのだけれど、名前のバランスに惹かれた。
 もしこの川の名がふるくからあったものとして、この橋の命名者は、
どんな思いからこの名を選んだのか聞けるものなら聞いてみたい。
  札幌のライブハウス「くう」の壁に6月19日現在貼られたままだった。
 JR品川駅の方角にあった。・・・。

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