日々のこと 54
札幌のこと 携帯デジカメ付き
日々のこと表紙へ ホームへ



雪が解ける時、日差しで解けるより、地面や、こんな柱に接触しているところから始まるって知っていた?
 札幌に行ってきた。九日間を過ごしてきたのだけれど、九十日ぐらい居た気分だ。その間、三回のライブをしただけで、あとはひたすら呑んでいた。三回のライブだって、打ち上げは必ずやるのだから、毎日呑んでいたということだ。それだけ呑んで二、三キロやせた。つまりいかに食べずに呑んでいたかという証拠にはなる。
 僕の場合、ジョガーだから、それなりについていた脚の筋肉を中心に消滅したのだろうな。みかけはほとんどやせたという感じはしないけれど、久しぶりに会った友人が、僕の顔を見るなり、札幌でそーとー入れてきたな、と言った。やつれていたというのだろう。僕の年代の場合は、やつれたと言うより、老けたというのが正しいか。
 実際、この一月で、三、四歳年取った実感がある。その実感というのは、足元がおぼつかないというものだ。階段を降りるときに、今まではすっと出ていたはずの足が出ずに、必ず一度立ち尽くすということにまず、気がついた。動き出す前に「よいしょ」ぐらいの掛け声程度なら、十数年以上のキャリアがあるはずだけれど、ここにきての変化は、その「よいしょ」の前にかならず、ため息がひとつ付加されるということだ。
 「ふぅー、よいしょ・・・」


札幌では、自動車のためではなく歩行者のためにこうして雪上に撒く砂が繁華街に用意されているって知っていた?
 みっつのライブの報告をしようと思ったのが今回のこのページを書く動機だったのだが、なんだかわびしいイントロになったなあ。気を取り直して、というか気を取り直していただいて以下もお付き合いのほどを。
 三月18日、中森花器店での「うたのおと」と題した歌人とのコラボレーション。聞きに来てくれた方々のすべてが何が起きるのかわからずに、時間とお金を使ってくれているのだ。だいたい登場者である、田中、牧野、そして僕の三人とも、一応の進行を考えてある以外、そのステージを思い描くことなどできていなかったのだ。
 僕の立場で言えば、音楽会であれば、そして特にフォークの“いつものやつ”であればある程度の予測をたて、できふできはあるにせよ、まあ大幅に狂うこともなくエンディングをむかえられるのだけれど。
 実際に、この日はそうはならなかった。翌日、田中綾さんから、オーナーの中森さんから、よかったよ、と電話をいただきました、と報告があった。それが救いだった。
 話は前後するが、ライブ終了後の打ち上げはおおいに盛り上がった。六月ごろまた中森さんのところで、何かやらせていただくことになりそうである。今度は、今回音響を担当してくれた打楽器奏者の太田ヒロ氏と、映像を使ったコラボレーションをしてみたい。


この写真ではわかりにくいけれど、矢印の下にはたくさん雪があり、まるで時計台がその下に埋まっているように思うのです。僕だけ・・・。
 19日、繁華街にあるアコースティックというライブハウスにゲスト出演。京都在住の秋人くんのライブだった。関西出身のフォークシンガーはおしゃべりがうまい。彼もまたそうだ。僕にほめられてもほめられた気はしないだろうけれど。僕の場合、かんとー系だったにしても、許される範囲のものではない。たんなる下手ではない。聞くひとをばかにしているのか、とおこられた経験のある歌手は、そんなにいないだろう。
 秋人くんとは、昨年の那覇マラソンと、その前日のコンサートで初めて会った。そして、その後、京都の街中、郊外を二人で走る機会があり、それ以来のつきあいである。僕にすれば元気なわかものだ。
 ライブの中ほどで、彼とのデュオを含め歌わせてもらった。ゲストで出る場合の心得として、その場のふんいきを壊さないというのもエチケットのひとつだろう。ところがそれが僕には出来ない。
 一例。結婚式の披露宴で、僕のレパートリーである“引き潮”や“さみだれ川”を歌ったことが何度かある。僕の選曲ではない。そのうちひとつは僕をその披露宴で歌わせようとした花婿花嫁のリクエストということだった。いろいろ僕のレパートリーをしらべた結果、どうしようもなかったのが事実だろう。僕をゲストにするときは、気をつけたほうがいい・・・。
 この日、北さんに四半世紀ぶりに再会。いっぺんにタイムスリップした。またあのころのように呑むようになるんだろうな。


 郵便局の玄関に貼ってあるわけです。成功例もなかったわけではない気もするけれど、この場合そんなことより、この断言に力強さを感じるべきでしょう。そして、このちょっとへなっとした状態は・・・。
 20日、あんただーれライブ。3時到着時には、たくさんの仲間が設営のためにすでにいた。普段は居酒屋空間である場所をライブ会場に仕立て上げていくには、こまかな調整が必要である。それを充分に理解した仲間たち、つまり、この店に集う歌好きたちが、この日はりりしく立ち働いているのであった。
 このライブは、歌うのはもちろん僕だけれど、僕が主人公ではない。これを作っていく過程に参加するすべてのひとたちが主人公なのだ。かってフォークというものがそうやって歌われたように。精錬と衰退、繁栄と腐敗、誰が望んだのでもなさそうにしながら、これらが同時に進行していく現実を、見る目、聞く耳は、ライブを楽しむ五感と同等にうしなってはまずいものだぞと、ちょっといわせておいてね。
 牧野くんのギターサポート、秋人くん、中ちゃんのゲスト出演もあり、大いにもりあがってこの日のコンサートも幕をおろした。
 それは、二重にウソだ。
第一に、この店に幕なんぞ無い。
第二に、コンサートが終わったからといって、それで満足して帰る人たちは、なかなかいるものではない。もし僕がき聞く側だったとしても、ぐずぐずいつまでも帰らないだろう。製作者の中ちゃんも、心得ていて、実はここから朝までの第三部に突入していったのである。


 札幌の繁華街にこの旧式ポストがあるのです。当然観光客を意識したものとは気がついていても、投函するにはやはり勇気がいるのではないでしょうか。
 昨秋、招かれて時計台で歌わせてもらった。「あんただーれ」でも歌った。そのとき、僕はがらにもなく、みんなで歌える歌を作りたいと思って、帰宅後実際に作った。それが「SAPPORO SONG」である。タイトルはご当地ソングという語感をそのままいただいた。本人は気に入っているのだけれど、どんなものなのだろう。
 あんだれライブは、この歌の「はっぴょー会」をかねた催し物だったといってもいい。プリントした歌詞カードを配布して、中ちゃんの振り付けまであるという趣向をこらした演出もあった。
 聞きに来ていたローティーンの少年ですら何かのCMソング?といっていたぐらい憶えやすい歌なのは確かだ。嫌なら覚える気にもならないだろうから、そこそこの出来でもあるのだろう。
 ところが僕ときたら、これがこの歌を歌う最後かも知れません、などと、モリさがることおびただしい発言の後に歌いだしたのだ。でもみんな僕の言葉なんか聞いていなかったね。のりのりで歌ってフリつけていたもの。
 僕のハツゲン、ほんとうに聞かないでくれてありがとう。
別にうそついてあんなこと言ったわけではないけれど、歌いだしたみんなのパワーは、半端じゃなかったから、僕のたわごとなんか、どこかに吹っ飛んでいった。
 歩いていたら、見つけた「美人綿」そのものの屋根の雪。だからって言わないでね。きっとこの風景を見慣れているひとには、僕の気持ちはワカラナイ・・・。けっこう気に入っていたけれど、いまさら地元のひと同志では話題にしにくかったって事も。考えすぎですか。

日々のこと表紙へ ホームへ

Copyright©2001-2003 Kouhei Oikawa(kohe@music.email.ne.jp)