日々のこと 47

すどーくんの
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ふるあたらしいうち 

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  高校時代の同級生にすどーくんというのがいる。
非常に活動的なやつで、今夏はモンゴルの草原をかけずりまわっていたという。
大学は北国の国立だったから、故郷の釧路でおとなしく教職にでもつくのかと思っていたら、
役者になった。
それは、僕も同じようなことだから、知っていたけれど、
歌謡詩の専門誌の編集責任者になっているのには、驚いた。

  そのすどーくんが、千葉のわらぶき屋根の家に引っ越すという。
逗子に住んでいて、味噌を作ったり、タケノコ掘って運んできてくれたりしたから、
そこが終の棲家ってやつかとも思っていたけれど、甘かった。
わらぶき屋根に引っ越すと言う。
それも、リフォームつきだ。
 この頁をアップしたころは、せっせと、壁塗りなんかしているはずだ。

 トップのイラストと、このあとにある2枚の絵、見取り図が、つまりこんどの新居なのだ。
これらの絵は彼のカミさんのChiekoさんが描いたのであって、すどーくんが描いたのではない。
あの行動力プラス絵画力があったりしたら、もう友達っぽくない。
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今度のすどーくんの引越しはちょっとわくわくする。
ちょっとうらやましい。
だけど、実はリフォームはいやだ。
とんかち持ったり、ペンキぬったりするのは、面倒くさくて、僕はぜったいいやだ。
だから、やっぱりうらやましくない。

 でも、こんな家でくらしはじめるとしたら、ぼくならどんな風にするだろう。

1、友達をよんで転居祝いをする。
2、鶏小屋を作ってたくさん玉子を生ませる。
3、切り株をいたるところに設置してウサギをめしとる。
4、忘れるところだった。ホームコンサートを開く。
5、忍者屋敷にする。
6、モンゴルから有望な新人を連れてきてすまわせる。当然相撲だ。

いかん、夢がふくらむ。
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 釧路から、さらに車で一、二時間行ったところにTOMATAという漁村がある。
そこに隣のクラスの先生がすんでいた。
僕が小学校の三年生ぐらいのころの話だ。

  どんな気分からか、友達数人と遊びに行った。
ふつう隣の担任の先生にまで、生徒として付き合いは広げないものだ。
歩いて二三時間の距離だったと思う。
その先生のうちの軒下に干し魚がけっこうたくさんつるしてあった。
先生の説明では、不漁の時の地元住民の非常食ということだった。
出されても手を出す気にはなれなかった。
のちにある時期『全国区』にまでなった、こまい、という魚であった。
『全国区』になってからナイチで食べたこまいは、どういうわけか、おいしかった。

 別に脱線ではない、不便とビンボーはいやだと強調したかったのだ。
すどーくんの新居はきっと不便なのだ。
だからリフォームするのだ。
ビンボーじゃないからリフォームできることは知っている。

 だから、少しは、うらやましくないわけではない。
でも、行燈やランプの暮らしには、僕はきっと耐えられない。
シンセサイザーやハードディスクレコーダのない音楽環境は、ちょっとつらいかも知れない。
だいたいパソコンがなければ、このホームページはどうやって発信できるというのだ。

 たしかに僕はドクされているのだろう。
きっと僕の論調は非難しやすいだろう、いまどき。
僕自身も、論破できそうなくらいだ。
でも、リフォームはいやです。
いや、そのときはすどーくんにたのもう。
うらやましくないったら。
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