日々のこと 40 |
三十三年前の日々のこと
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1970年の夏、六文銭は第二回中津川フォークジャンボリーに出演した。
そのときのグループには、まだ四角佳子はいない。
第何次六文銭と言われているのか、ともかく解散時のメンバーではない。
上のメモが引き出しの奥に眠っていた。
中津川とあるが、そのフォークジャンボリーのものではないと思う。
僕らのグループだけのライブだったようだ。
僕の書いた字ではない。
たぶん小室等だと思う。
そして、題字と曲の演奏時間は小室のり子の書いたものだろう。
これが、なぜか僕の手元にあった。
理由としては、これも確かではないが、
たぶん僕がその日の演奏曲目を考えることが多かったので、
このメモにもステージ前に目を通したからだろう。
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一時間ほどの演奏だったのだろう。
演奏時間にはワンコーラスの長さも書いてあるけれど、理由はよくわからない。
1『ゲンシバクダンの歌』は、このフォークジャンボリーの録音LPに入っただろうか。
発売前に削られたかもしれない。
僕らは、意気軒昂に会場のはなの湖を、歌の中でブットバシタんだろう。
2『比叡おろし』は、小室がソロ活動の中でもうたっていたもので、
当時数少ない、ちょっと知られている歌のひとつ。
3『あげます』が、三曲目に登場するシンケイは何だったのだろう。
今なら、ちょっとほっとしたい時間帯でうたうことになるような気がするけれど。
ともかく歌っちまった。
そして、4『雨が空から降れば』。
2分ほどの長さになっているから、前奏もほとんどなしで、
しょうがなーーい・・・の繰り返しもそこそこに着地したのだろう。
で、5『ゲリラの歌』ですかい。
なんだか、不意打ちのような登場である。
この曲は知らないでしょう?
手塚治虫の『クレオパトラ』というアニメの一場面のために小室が作曲したものだ。
当時はよく歌っていた。
こんな歌をうたうから“目をつけられる”とは想像ダにしなかった。 |
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6『ぐんぐん』って歌、全然おぼえていない。
(singout)と但し書きがあり、なんと10分も歌っているのに、すっからかんだ。
7『バラはあこがれ』は、ジルベール・ベコーの曲だ。
後に上条恒彦さんと共演するようになってずいぶん歌った記憶があるけれど、
小室のリードでその前からこうしてけっこう歌っていたんだな。
8『賞状』は、当時の僕らというか、小室の曲には珍しいものだったといえる。
現代詩の代表的な“選手”およびそれに準ずる書き手の歌詞がほとんどだったなかで、
なかなか生々しい息遣いの歌詞であった。
9『守らずにいられない』は、その後も小室の歌作りに多大な影響を持っている、
谷川さんの詩。
もちろん谷川さんのその後の“音楽人生”も相互に影響を受けているのだろう。
10『12月の歌』は、ハイスクールライフという新聞に連載された歌のひとつ。
現代詩に小室の曲により譜面が毎回載せられた。
そのうち、唐十郎氏の詩など、何曲かが散逸したと聞いている。
どなたか、行方をご存知ではないだろうか。
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お気づきかもしれないが、前半は僕の曲は一つも登場していない。
実は、LP『キングサーモンのいる島』を作るまで、
僕のこのグループでのポジションは、声の大きい歌い手、だったということだ。
関係していた演劇では、劇中歌をけっこう作っていた。
この日『面影橋から』を歌っていないのは、まだこの世になかったのだろう。
数少ない、ウケタ歌だから、あったら歌わないはずがない。
11『パフ』もsingoutの文字が見える。
12『怪盗ゴールデンバット』にも、singoutとある。
あれ?この曲なぎら氏の作ったものじゃなかったっけ?
13『ロック天国』はいわずとしれたPPMのもの。
小室がもちこんだのだけれど、僕は意味も、この歌の価値もわからず歌いまくっていた。
そうして、今でもそのあたりよくわかっていない・・・。
14『へのへのもへじの赤ちゃん』。
別役実氏の唯一のミュージカル“スパイものがたり”の劇中歌。
“雨が空から降れば”もそうだ。
それにしても、当時このような歌がフォークと呼ばれることになろうとは、想像外であった。
僕等が歌っちゃえば、もうフォークだったのさ!かな。
このあたりに、フォーク論のヒントがあったりして。
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15『海賊の歌』で、やっと僕の作った歌が出てきた。
ただし、作曲のみ。
別役さんが、気まぐれにじゃあ書いてみようか、と僕にこの詞を含めて数編を手渡した。
あのとき、彼が前日までそう言っていたように、
都はるみさんの港もの演歌やシャンソンの港ものを歌わせようとしていら、
僕は果たして、作曲という行為を自分のほうに引き寄せたかどうか、自信はない。
あのときとは、僕は大学二年、1968年の夏のこと。
16『夢のまた夢』は僕の作曲。
演歌によくあるリズムで、みょうに小室さんに気に入られた記憶がある。
モダンフォークから入った人は死んでも書かないリズムと世界観。
僕は滔々と歌っていた。
北島三郎さんの『かえろかな』も歌わせてもらっていた。
もちろん、六文銭のステージでだ。
17『街と飛行船』はワレワレ六文銭の代表的なレパートリーであり、
そのうえ代表的な放送禁止歌である。
ただし、この放送禁止、ということについては、
誰一人ボクが言ったと表明する個人も団体もないという。
ソラオソロシイ。
それにしてもこの歌は、別役・小室コンビを決定づける名作だと思う。 |
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18『さよならの歌』、これも劇中歌。
と、断るまでもなく、原茂とウェストコースとの風に吹かれて書き出すまでは、
僕のは劇中歌しかほぼない。
つまり作詞はしていない。
新宿三丁目の伊勢丹裏で登場人物として歌っていたもののひとつだ。
19『思い出してはいけない』20『私は月には行かないだろう』と、
当時の小室さんの代表曲でもあり、解散時まで六文銭の中核をなした歌である。
“まるで六文銭のように”の選曲をするときも同じポジションにある。
ただし、この二曲は、
歌うのには相当のエネルギーが必要だと、つくづく味わっている三人である。
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