日々のこと 39 | |||||||||
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2004年2月1日、横浜に『みなと・みらい線』が開通した。 それぞれの思いを胸にぼくら市民は、この電車にのることになるのだろう。 先に1月30日の終電をもって、東横線桜木町駅が姿を消した。 その日、偶然なのだが僕は、イギリス館に用事ができて、駅前を通った。 平日の昼間というのに、大変な混雑だった。 いささか古びてしまったこの駅舎を、懐かしむ人々のなんと多いことだろう。 懐かしむ気持ちは、僕も人後におちないつもりだ。 こまかいことを言うと、今回をもって姿を消した桜木町駅は、 以前駅舎はもう少し南方に位置していた。 その当時の桜木町駅こそ、僕にとっては、回顧の対象なのだ。 『雨が降りそうだなあ』という、ソロとしてのレコードデビュー曲は、この駅から、 山下公園、元町への風景を切り取ったものだった。 渋谷に学校のあった僕は、 しばしば東横線に乗って、終点の桜木町まで電車にゆられて行っては、 そこから山下公園まで、なんとなくあるいたものだった。 昭和四十年代のことだ。 僕の故郷の港とは、比較するほうがおかしいのだけれど、 それでも、港は港だからここにくると、こころがなごむのだった。 もちろん、横浜港のエキゾチックな雰囲気が、 訪れる理由としてはもっと大きかったのかもしれない。 そう考えてみると、ぼくにとってこれは、“観光”の始まりだったと言えるのだろうか。 |
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それにしても現在、当時の横浜とは、ずいぶん変わった。 桜木町駅付近も、思い返すと、もっと平坦な建物しかなかったのだ。 運河の形状でさえ、激変している。 みなとみらい地区なんて、当時の海の上だから、 河の形がかわったなんて言い方では、とてもおいつかない。 ボーリング場なんて、はるか昔に姿を消している。 山下公園付近の大きな違いは、小さな売店がことごとく消失してしまったことか。 ベイスターズの本拠地、横浜スタジアムも、当然なかった。 あそこは、以前どんなだったっけ? 中華街は『アンノン族』の襲撃を受けててんやわんやなことになる以前は、 まあ、ふつーの?中華街だったと思う。 音楽を始めた後、深夜のこのあたりのジャズクラブに、出没させてもらったりもした。 たしか「ストック」とか「ウィンド・ジャーマー」とかだった。 元町も、その景観はずいぶん変わった。 つまりふつー?の元町だったのだ。 全国規模のチェーン店は、もちろんなかった。 居酒屋なども、表通りにはほとんどなかった。 ただ、『雨がふりそうだなあ』に出てくる“アイス紅茶”と メニューに表記していた店は、たぶん残っている。 いささか頼りない記憶ではあるが、あれだと思う店がある。 たぶん・・・ 路面電車も、もうない。 都内から姿を消し始めたのと、同時期に線路ははがされていった。 この国の経済情勢にゆさぶられて、その姿を変化させた場所として、 横浜も、残念ながら例外ではなかったということだ。 |
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悲観的な表現にとられているかもしれないが、 僕自身は、それほどでもなく、じゃっかんの諦念はまじるものの、 この変化に、期待もしているのだ。 街など、どのみち、人がなかば強引にこの地上に出現させたものだ。 だとするならば、 他のいきものたちの居住地、居住環境ほど成熟しているわけもない。 刻々と変化していくことも、これもまたしかたがないことだ。 せめて消失だけはさけたいところ、というので精一杯だろう。 さて、僕はのんきに『みなとみらい線開通記念』とかってに銘打ち、 コンサートでもしようかなあ。 |
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びっくりしました。以下。 |
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