日々のこと35
掲示板のこと

 自分のホームページを開設してから二年半になる。
その、初期のころから“掲示板”を設置している。
ただし、きっとだれでもがそうであるように、まよわずに、とはいかなかった。
そうして、その迷いのみなもとにあったものが、
やがてその予想は正しかったと、認めざるを得ない事態をまねいてしまったこともある。

 その混乱から救われた事実について、個人的にも名前をあげられるけれど、
ここでは、それをになってくれた方に感謝しつつ、見方を変えることにする。
 これにのっとって言うと、インターネットに出来かけていた
“掲示板というものの倫理規定”が、どうやらそのページの崩壊を防いでくれたのだ。
 もちろん、的確に適用する能力のある方に恵まれたと言うことではあるが、
当時は、暗中模索の時代のあと、そしてかなりの犠牲を払ってのちの、
やっと形らしいものが出来つつあった時期なのだと思う。
 
 思う、なとど歯切れが悪いのは、僕の感想としては、その“アンコク”時代は、
まだ続いているし今後もしばらくは続くだろうと、内心思っているからだ。

 それにしても、インターネット全体を見渡せば、
これまで多くの人が傷ついたり、去っていったりしただろうと、想像するに難くない。
 僕のところでジケンがおきた当時でも、
六法全書に入ってもおかしくないような、けっこうしっかりした構造を持つ、
規定”ができつつあったのである。
 率直な感想としては、ここまでレイコクにしなければならないのか、であったけれど。
 
 そして現在では、もっと破綻の少ない規定になっていっているだろうし、
実際、インターネット上のさまざまなケースに対応できうる法制化は、
より必要になっているのだろう。
 こと、掲示板だって、その対象になるのを避けて通れるはずもない。

 しかし、やがてそんな強固と思われる“規定”も、
それでもまだアマイという事態を招いていくのかも知れないが・・・。

 僕が子供のころ、遠距離間のコミュニケーションは、もっぱら郵便であった。
ペンパルなとど、きどって言いあらわしていたこともあった。
その、ペンパル間のやりとりも、とりあえず名乗ることから始まる。
というより手紙は、宛名と、裏には自分の住所氏名を、
みずからの手で書くことになっていた?
 
 どんなきっかけからf始まった文通だとしても、
最初の一通目は自己紹介に始まり、だいたい自己紹介で終わる。
 二通目で、お互いが得た便箋数枚の情報をもとに、想像力をたくましくしながら、
おずおずと、質問なぞを混ぜて、投函することになる。
 
 やがて、お互いの輪郭が、どうやらぼんやりとでも見えてきたころ、
つまりは、最低でも数通の手紙が往復する段階まできて、
やっと、それもほんの少し、個人的な感想を混ぜたりする段階に入る。
 受け取った側は、そうか、そんなこと考えていたのかとか、
ずいぶんカンカクが違うなあ、などと思いつつ、
そちらもまた、おずおずと、受け取った意見より、ほんのちょっとだけ長めの意見を
添えて書き送ることになる。
 それも、見えない相手だけに、これでもかとばかり気をつかいつつ・・・
 こんなことを引用したところでインターネットの特徴を引き出すことと、
今後の展開に役立つものではない、と僕も半分は思っている。

 しかし、きっと僕個人の感想としては、今後ホームページ上で何かことが起きたとき、
子供時代の“ペンパル”関係に、引き返すことは間違いない。
 そうして、こんな僕の感覚にもっとも、ネックになるのは、
 実はこれこそ、インターネットの最大級の特徴である『匿名性』である。

 ちょうど、僕のコンサートライブの対極にあるものだろう。
実際、イギリス館などの僕のライブに来てくれた方は、お分かりのように、
出演者のみならず、聞き手の方々もしっかり顔を拝めマス。
 フォークという音楽は、そんな相互交通の中に生まれ育ったといってもいい。
 フォーク論としては、それだけでじゅうぶん独立しうるものなので、
いずれ機会をあらためて書かせてもらうことにする。

 さて、『匿名』のこと。
これが、参加の自由度の高さを保障しているのもまた事実だし、
僕のページの掲示板に書き込む方々が、増えてくれる要因でもあるだろう。
 そして、僕の望んでいることでもある“飛び入り”的な参加を可能にする、
間口の広さを作り出してもいるだろう。
 ただし裏返せば、気が向かなければいつでも沈黙できる、という意味でもあるが・・・
 個的に僕のページにある掲示板に対しての、希望も示しておきたい。
こんなことを書くと、
かえって混乱か、参加してくれる人の減少を招くことにもなるかも知れないし、
こんな時、僕があと少しでもかしこければ、
流れに乗って様子をみるようなことのたぐいなのだろう。

 が、出来ない。
理由は、言うまでもなく単なるオシャベリなのでアル。
 オッ、ヒラキナオッタゾ・・・
でも、これが、参加する勇気(おおげさじゃなく必要だよね)を
失う材料にならないことを祈りつつ、以下。

 僕が“混乱期”の掲示板というものに対する想いは、
かみ合わなくてもいいじゃない、大いに混乱しようよということ。
 大体このシステムで初めからかみ合うほうが゜不思議なのだ。
しかし、かみ合わないからといって、攻撃に転じるのは避けてほしい。
なぜなら、“ペンパル”時代とちがって、自分の思いとはうらはらに、
思いがけず“闇討ち”になる危険性があるからだ。
 こういう自分が、真っ先に誰かを傷つけていることには、ジシンがアル。

 そこで今回のラストは、ドカンと(だかアイカワラズだか)一発?
 あまりに、飛躍したエグザンプルというなかれ。

 戦国時代、いくさは「やあやあ、遠からんものは音にも聞け」と、
まず名乗りをあげて切り結んだ。
現代の戦争はボタンをひとつ押すことで、数百の人命を一気に消し去ることが可能だ。

 そうして、このボタンを操作する人物は
「○×国空軍」というハンドルネームを使っている。
押したボタンには《投稿》と書いていないだけだったりする・・・

2003年夏公園



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