日々のこと01
更 地
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 太田省吾作・演出の『更地』を、都内で観た。
 数年前、瀬川哲也、岸田今日子のものを藤沢の球体劇場で観ている。
今回は、韓国の俳優による韓国語での上演であった。
字幕付だし、韓国語は他の言語に比べたら、ずいぶん日本語と近い発音の言葉だ。
にもかかわらず同じ台本なのに、前回観たものとは似て非なる芝居に思えた。
 
 球体劇場の公演は、更地にやってきた夫婦者である登場人物を含めて
風景として眺めている気分が濃かった。
しかし、今回の韓国版は、登場者どうしの関係をおもに見させられている気がした。
 そして、その二人の関係の結構はげしいゆらぎに、
ぼくは捉えられてずっと引きずり回されていた、という訳だ。

 ぼくの勝手な事情ではあろうが、この理由ははっきりしている。
韓国語の発音は、日本語よりずっと、ぶつけるような強い音が多いのだ。
ついその登場人物の感情のたかまりに注意をむけざるをえなくなる。
相手を説得するさいの強い口調が、はなしの筋道を聞き手がたどることを許してくれず、
ついついぼくは降参したくなってしまうのだ。

 だから、ほんとうに説得された気はあまりしない。
だけど、いやとは言いにくくて、黙ってしまうといったところだろうか。

ところで韓国語の「国際」評価もまた、
日本語がよく言われるように非論理的な言語、という所なのかもしれない。
かりにもしそうだとしても、日本語よりずっと音はアグレッシブだから、
たんなる論理的言語より力があると感じるのは、ぼくだけではないだろう。

 でもぼくは、『更地』であまり説得されたいと思わない。
できれは、藤沢での公演でのように、
全体の風景がかもしだす妙なやすらぎに、身をまかせていたかった。
太田作品の西欧での評価が高いことは承知している。 
しかし、国内のファンの気持ちは、案外ぼくに近いのではないだろうか。


 太田省吾さんの演劇が世間的な評価を受けだしたのは、
「水の駅」などのせりふが極端にすくない傾向があらわれてかららしい。
こんな自信のない書き方しかできないのは、
ぼくがせっかく太田さんの芝居にかかわらせていただいたことがあるのに、
その後見なくなった時期のことだったらしいからだ。

 ぼくの個人的な事情で、演劇、音楽のみならず、
冠婚葬祭などの日常さえ、それまで付き合いのあった方々と
かかわらずにいたころのことだ。

 太田さんに歌詞として提供していただいたものを含め、
いくつか思いつくまま作品名を書いておきます。
「赤馬夜曲」
「おつきさま」
「ちいさな虫のあと追って」
「黒揚羽の乳房」
「私は今朝も夢を見た」
「ドンキホーテは笑わない」
「一番星でたら」
「なんていやな日なんだろう」
ほか。

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