最後の六文銭、を簡単にいうと。
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1969年、小室等が、
別役実のミュージカル仕立ての芝居『スパイものがたり』に作曲者として参加したのです。
このとき、その芝居での数日間の生演奏のために結成されたのが、
小室等と六文銭、というわけです。
この芝居が終わると同時に解散されることが前提だった。
では、なぜ続いたのかと言うと。
もちろん、
まだまだアングラ的ではあるものの小室自身の知名度によるところが大きいのだが、
学園祭に、そのときのメンバーのまま出演して、けっこううけたことが発端でした。
さて、及川はというと、出演したら交通費がもらえ、
おまけに弁当まで支給された喜びを、しみじみとかみ締めたのです。
当然ながら、何とかこのグループが、長続きしないかと、画策したのは言うまでもありません。
ちなみにこのときはまだおけいちゃんは、参加していないのです。
ところで話はじゃつかん横道にそれてしまうが、及川も実は、演劇にかかわっていました。
この別役氏の芝居を上演した際の劇団で、
前年、新宿のピットンシアターという場所で、初舞台を踏んでいます。
「カンガルー」という芝居で、覆面の歌手という役どころでした。
かんわきゅうだい。
「歌はくえる」
これにはびっくりしました。
それに・・・きたない格好でもかまわないラシイ・・・これにもびっくりしたのです。
僕は、一生懸命あーめーがーそーらーかーらーふーれーばーと歌いつづけたのでした。
つまり、僕がいのちガケでした就職運動に、
小室さんはまんまとのせられたと、いえなくもないのです。
、フォークがブームになると、予言できた人がいたとは考えられないが、
今思えば、世の中は着々とフォークのブレークに向かっていたのでした。
僕ら六文銭も、おけいを迎え入れるあたりでは、音楽以外には見向きもしない、
フォークレース場の、遮眼帯つきのりっぱな競馬うまだったのでしょうか。
これが『最後の六文銭』の最初の一歩です。
続く(カナ?)
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