夢眠のフォーク畑 027
ラ ー メ ン
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最初は奇妙奇天烈だったりしても、
好きなヤツにとっては、初めて出会ったときの感動や衝撃は忘れられんのだよなあ・・・
例えば味噌ラーメンである。
今じゃ珍しくもなんともないが、あれがボクの前に出現したのは、高校1年の時だった。

東京の下町で育ったボクにとって、
ラーメンとは澄んだ醤油味の鶏ガラスープに縮れ麺、焼豚1枚とメンマとほうれん草、
あとは海苔にナルトくらいで、仕上げに刻みネギをパラパラってなもんである。
いたってシンプル、いたってアッサリした食い物だった。
しかるにその時ボクの眼前に出された「ラーメン」なるものは・・・。
あたかも豚汁のようなギドギドスープの中にスパゲティーを彷彿させる太麺が揺らめき、
モヤシ炒めみたいなのがうず高く盛られている。
で、もっておやじの言によれば
「できれば50円追加してバターを落としていただけるとコクとマロミが」
ってな代物なのである。
想像してみてくれ、その隔たりを。ボクの衝撃を。
これはラーメンじゃないっ! 
ボクの想像を遥かに超えていた。
北海道人の味覚に疑念を持った。
しかし、やがて新世代ラーメンは塩・味噌・醤油に続き、京風なるものが出現し。
トンコツやらカレー味までもが加わり、
多様多岐何でもアリ、ドロドロスープでもうまけりゃいいじゃん時代を迎えるのである。
いまや、地名を冠したラーメンの多いこと。
いや、地方蔑視なんかじゃない。
でも、こっちで喰うなら、東京風ラーメンが恋しい・・・

そもそもが国籍不明である。
出自はおぼろげながら想像はつくが、日本流アレンジというか、
換骨奪胎というか、わが国独自のものにしてしまった感がある。

提供するほうも、師匠に弟子入りして雑用に始まり、
艱難辛苦の十数年を経て独立をめざすなんてもんじゃなく、
センスが重要で、
ちょいと訓練すれば昨日までの学生やサラリーマンでも、そこそこできてしまう。
まっ、基本はあるんだが、こうでなきゃいかんってほど厳格じゃなく、
あとはお客さんの好みに合うかどうか。
時代の趨勢によって薄くも濃くもいたしましょう、ってか。
で、思ったのである。フォーク・ソングと似てないか?

そこそこの中華料理屋、ま、例えば横浜中華街あたりの店で
「なあんだ、味噌ラーメンないんだぁ」
なぞとホザいてる若者を見た。
彼らを「バカモノ」と喝破することは簡単だ。
ただ、時代を考えれば、おそらく70年代半ば以降に生まれた諸君には
「味噌ラーメン」は物心ついたときには存在していたのであり、
純正中華料理に列せられても不思議ではないんであろう。
だから、あの面妖な食い物に出会った衝撃は伝えようとして伝わらないものなのだ
(と、文章力も省みず言ってしまおう)。
 同じように、フォーク・ソングに出会った感動も・・・。
仕方ないのかもしれない。
ボクよりやや年上の先輩方の多くは、あの日のことを記憶している。
酔えば懐かしそうな目をして話すのである。
街頭テレビの力道山、我が家に初めてテレビが来た日のこと、・・・。
その感動をボクは知らない。
しかし、だなあ。若い連中にだって分かる好例を発見した(と、思ったのだよ)。
その日、入ったラーメン屋の壁に燦然と輝く貼り紙。曰く「新食感! 
マヨネーズ・ラーメン」だと。しかもそのことを若い連中に話したら、
いたって冷静に「ええ、ありますねぇ」だと。

もういい。勝手にしなさい。
ことラーメンとフォークに関する限り、ボクはもう何が出て来ても驚かない。
                                             夢眠

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