夢眠のフォーク畑 022
そ ん な ん あ り か ?
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 その時、現場であれテレビであれ、目撃した者は、そう叫んだ。

「なんじゃこりゃ?」、もしくは「そんなんありか?」

 それは走り高跳びの中継だった。
あの競技特有の軽く弾むような助走の後、
踏み切った男はなんと背中越しにバーを越えていったのだ。

お若い方々のために注釈を加えれば、その頃の主流はベリー・ロールといって、
要するに横向きの腹這い状態に跳ぶ。だから、
背面跳びはまさに天と地がひっくり返るようなフォームだったのだよ。
 あれはたしか、1968年。メキシコ・オリンピックじゃなかったか。
 だとすれば、あの頃はやはり「そんなんありか?」の時代だったのかもしれない。
 フォーク・ソングだってそうだ。
 それ以前の唄は、作る人は作る人、歌う人は歌う人、演奏する人は演奏する人だった。
それまでにも自作自演やら弾き語りもいなかったわけじゃないが、いわば例外。
それがビートルズやら一連のフォーク・シンガーなんぞが現れた。
当初は「素人のくせに」と揶揄する声もあったのだが、
大衆に受け入れられる現実をみせつけられては、
専門家・評論家連中も押し黙るしかなかった。
 
 日本のフォーク・ソングもそうだった。
 例えば「字余りソング」である。

♪もぎたてのリンゴ かじったこともあるし・・・
(あげます)

 それまでの日本歌曲の基本は「ひとつの音符にひとつの音」である。
『もぎたての』という詞にメロディーを乗せるなら、
長音を含めれば5つ(以上)の音符がなけりゃいけない。
ところが、これを8分音符2つで歌っちゃうんである。
しかも最初の8分音符は『も』1音だけに対応し、
スラーで結ばれた2つめの8分音符に『ぎたての』を押し込む。
小節単位でいえば『…あるし』で1小節かと思えば、
『大きな赤い風船膨らませたことも』でも1小節なんである。
どちらにも休符はない。ほとんど早口言葉の世界だ。
 作曲者には悪いが、「そんなんありか、このド素人め」
 詞の中身にしたってそうなんである。
それ以前にも学生生活を歌ったものはあった。
しかし、登場するのは、奇麗事というか、清く明るく美しい青春達的な、
PTAの方々も目くじらを立てないであろう学生たちだった。

♪蔦の絡まるチャペルで祈りを捧げた日・・・
(学生時代)

♪赤い夕陽が校舎を染めて・・・
(高校三年生)

 ところが、フォーク・ソングに出てくる学生たちといえば、
髪の毛は伸ばすわ、学生集会には時々出かけるわ。
故郷の親御さん方はさぞかし心配されたことだろう。
就職が決まって髪を切ったという知らせにホッとひと安心かもしれないが、
息子の忸怩たる内心にまで思いは至らなかったはずだ。

 それよりなにより、レコード会社専属の作詞家センセーだって、
こう叫んでいたに違いない。

「そんなんありか?!」
 で、当時の若者たち、つまり、ボクたちはこう答えた。

「あり」、もしくは「異議なし」

 だってさ、自らの学生生活を振り返ってみると、
チャペルなんてのは賛美歌を聴きに行く所でしかなく、
祈りなんか捧げなかったもん。
 でも、わからんな。ミッション系の学校だと構内にチャペルがあったりするし…。
まさか、編集長が…。
ま、故郷の親御さんに向けての懺悔なら分からんでもないが。

                                             夢眠

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