夢眠のフォーク畑 013 
わかれうた
(注解付)

  トップへ

もし 歌集があれば確認してほしいのだが、『わかれうた』である。

♪ミチニタオレテダレカノナヲ……。

この歌詞の漢字表記が2種類ある。
ひとつは想像通りの「道」であり、
もうひとつは「途」。
どちらが正解なのかは知らないが、ボクとしては断固、後者を支持したいのである。(※1)

だって、「道」だとすれば、道端に投げ出された女が上半身だけ起こし、
右手で虚空をつかみながら「捨てないでぇ」とかなんとか、男の背中に叫ぶんである。
時代劇や安っぽいメロ・ドラマというよりも、それはもうギャグじゃないか。
この歌がギャグやパロディーで書かれたとは思えない。

一方、「途」ならばボクの思い描く映像はこんな具合になる。
つまり、男に逃げられた彼女は「途方」にくれて街をさまよう。
時、あたかも黄昏どき。
その語源が「誰そ彼」というくらい、人恋しい時間帯だ。(※2)
家の窓にはポツポツと灯りがともり始め、
道行く車も半数くらいは点灯している、そんな時間だ。

さあ、早く帰って夕飯の支度を、なぞと思ったのである。昨日までは……。
でも今日からはアイツはいない。
彼女を待ち受けているのは、冬なら冷え冷えと、夏ならムシムシとした、暗い部屋。
灯りを点ければ外の闇がいっそう引き立ち、
ひとりであることを嫌でも意識せずにはいられない部屋である。
ふたり分の食器がやけに目につく。
誰がそんなアパートに帰りたいもんか。

想像力の豊かさも一定限度を超えると妄想と呼ばれてしまうのだが、
漢字1文字だけでこんだけの違いがある。
歌詞の表現は難しい。
別れの気分ってのは悪くない。(※3)
後悔やら未練やらもないではないが、
積極的な性格なら、待ち受けているであろう明日に思いを馳せるだろうし、
そうでなくても、まぁ、ちょっと映画の主人公みたいな気分にはなれる。

男としては、
ハンフリー・ボガードのようなトレンチ・コートと両切り煙草があれば申し分ない。
で、この男、舌の根の乾かぬうちに彼女の家を訪ねるのだが、
女が心配になったわけじゃない。
断言してもいい。
ボギーの気分で酔っ払って、ちょっと人恋しくなっただけのこと。
まったくもって自分勝手なヤツなのだ。

「だからね、お前、そこで開けちゃいけないんだってば。
そこで開けるからヤツは味をしめちゃって、ドロドロ状態が続くの。
そこは耐える。
断固として会っちゃいけないんだって」。

もし、彼女から相談されたらボクはそう答えるだろう。(※4)
だが、注意を要する。
女性からのそんな相談にのる場合、同性なら多少の優越感があるはずだ。
他人の不幸は蜜の味、なのである。
一方、異性なら、多かれ少なかれ下心は否定できない。
ボク以外の男なら大概は……。
で、彼女はさらなるドロドロ状態に落ち込むことになり、人間不信に陥るのである。

だが、とも考えた。
ここから先は女性に読んで欲しくないのだけれど、
そんなこと、すべてお見通し(※5)なんじゃないか。
少なくとも、女性の中に一定程度、そんな種族がいるんじゃないか。
計算高いとは言わない。
だけど、男がボギーを気どるように、
女も悲劇のヒロインをどこか楽しんでいるんじゃないか、と思ったりするのだ。

 だから、いい気になった男がその次に彼女の部屋を訪ねてみたら、
玄関には男物の靴があったり……、なぞと想像するものだから、
中島みゆきの歌詞は怖い。
そういえば北海道出身の女性は自立心旺盛だとか。
男性はどうなんでしょかね? 
編集長さま。(※6)
                                             夢眠


               編集部注 


※1  これは素直に「道」ととるのが北海道人なんである。
   理由は転んだって痛くはないからである、雪の上は。

※2  誰そ彼、であり彼は誰(かわたれ)時なんである。
   いや待て、と理屈を思い浮かべた男性諸君、特に夢眠殿へ告ぐ。
  「途」なんぞというのは男性的観念なんである。

※3  ここから、雰囲気を変えてページにうっすら色をつけたんである。

※4  夢眠殿の実話であると誰もがイマ受け取っているだろう。
   可愛いな、と、とくに女性読者は。

※5 だから「お見通し」なのは単に種族の問題ではなく、
   女性全体がそうだということなんである。

※6  だからあ、「自立心旺盛」なのは“シュゾク”の問題ではないんである。
   女性はすべからく「自立心旺盛」だと知るべきなんである。

トップへ


Copyright©2001-2003 Kouhei Oikawa(kohe@music.email.ne.jp)