夢眠のフォーク畑 008

フォーク遍歴 1

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いやあ、何回か書いてきて思うのだが、いまだに方針が決まらない。
書きたいことなら山ほどあるのに、どういう順番でいくか、で迷う。

これまでの流れからして、アメリカン・フォークにこだわり過ぎかな、とも思う。
が、ネタはまだまだある。
ピート・シーガーはぜひ書きたい。
と、なると師匠筋のウディ・ガスリーに触れないわけにはいかず、
当然、ジョーン・バエズやボブ・ディランなんかのガスリーズ・チルドレンに話が及び、
いわゆるシンガー・ソング・ライター時代までは書いてみたい。
その一方で、アイリッシュからケルトまで歴史を遡るのもいいし、
途中でちょっと、カーター・ファミリーやらのカントリー陣にも立ち寄りたい。
おーい、日本のフォークはいつ出てくるんだあ。


ボクがフォーク・ソングなるものに関心を持ち、調べ始めたのは『結婚しようよ』がきっかけだ。
手元の資料では73年とある。
それまで聴いていた拓郎とはちょっと違うと思った。
やがて、周囲の女の子たちもフォークだなんだと騒ぎ始めた。
だけど、彼女たちの関心は、拓郎とかケメとか、まあルックス重視だったり、
優しげなメロディのかぐや姫だったりして、
ボクの好きだった中川五郎とか高田渡なんか見向きもされなかった。
六文銭はね、まあね……。

ま、そういうボクだって、六文銭のお佳とか、赤い鳥の泰代さんとか中沢厚子とか……
基準は、まあね。
いいじゃんか、ルックスだって天賦の才のひとつだい!


で、フォークって何? と調べ始めた。
調べるったって、ボク、まだ未成年ですから、
多寡が知れてるのだけれど、面白かったですねえ。
自分の興味のあることならこんだけできるんだって感心したもん、
我ながら。英語の受験勉強なんかちっともしなかったくせに、
輸入盤の文章やら歌詞やら辞書を片手に訳しましたもんね。
大学の図書館なんざ、あなた、宝の山よ。

 でね、結果、ちょっとフォーク・ソングが嫌いになったんです。
そりゃまあ、拓郎やケメへの嫉妬もあったんだろうけど、ある日、思った。
なあんだ、日本のフォークって偽者じゃんか、って。そして、行きがかり上、
日本の民謡とかわらべ唄とか、民族音楽に関心が移りまして、
寄席通いまで始める始末でした。
 いやあ、柳家小菊っていう音曲師がいましてね、三味線片手に、
ちょこんとしてちょっと上向きの鼻が可愛くて、ってやっぱりルックス重視です。



 で、ある日の寄席で、たぶん小三治師だと思うんですが、こんなマクラを聞きました。
……いやあ、昔の日本人ってのはエラかったですねぇ。
言葉をキチンと作っちゃう。
アタシが思うのは「野球」ですね。正岡子規が作ったとか聞きましたけどね。
ありゃベース・ボールってんでしょ、アチラでは。
そのまんま訳せば「塁球」ですよ。
でも、塁球じゃねえ。なんだかねぇ、ベースにしがみついて離さないゾって感じがしませんか。

そこいくってぇと野球。
ね、ガキの頃、野っ原で、ボールが見えなくなるまで走り回ったというような光景が、
ふつふつと浮かんでくるんでございますよ。
元々がね、あの漢字ってヤツは中国のモンです。
いわば輸入品。それをね、わが国の寸法に合わせてキチンと生かす。
いやあ、昔の日本人ってのはエラかったですね……


聡明な夢眠クンは思ったのです。
そうか、フォークがいけないんじゃなく、
フォークをわが国の寸法に合わせられないのが悪いんだ、と。
(この章、続く たぶん)
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