夢眠のフォーク畑 06
P.P.M.

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 さて、フォーク・ソングの話だが……(分かる人には分かるパクリです)。
最初に断言してしまおう。
日本フォークの不幸は、P.P.M.に始まった……。

何人かの女友達にこんな質問をしたことがある。

@ブスだけど好き、
A美人だから好き、
B美人だけど嫌い。

さて、あなたの言われたいひと言は?
 集計の結果は圧倒的に@だった。
Aは「表面上で好きになられても」であり、
Bに至っては「なんかスンゴク性格悪そ」というのだ。
しかし、女性の皆様、男どもの反応は微妙に異なる。
Bは成立しない。

「あのさ、産まれつきの美人ってのはさ、
ギスギスしたり、イジケてないからさ、性格の悪いのはあんまりいないよな。
その点ブスは(以下、略)」。ま、ま、一般論。
男はバカだ。見た目に騙されちゃうのである。
 スゲー強引な論理だが、P.P.M.は美人だった。
いや、マリー・トラバースがそうかどうかは別にして、
前回書いた「音楽性」が抜群だったのである。

コーラス・ワーク、ギター・アンサンブル、アレンジ、どれをとっても半端じゃない。
どれくらい抜群だったかというと、素人がコピーするとギターが3本必要になる。
さもなければ、指の数を増やしてもらわなきゃならない。

念のために言っとくけど、本家のギターは2本だからね。
当時の日本の若者達はこれに目を(耳を、か?)奪われてしまった。
あたかも、美人の性格の悪さを見抜けなかったように、だ。
これがモダン・フォークちゅうもんかとばかりにゾロゾロと後に続いた。
.だけどね、初めの頃のレコードじゃトラディッショナル曲も取り上げてるし、
売り出す前のボブ・ディランに目をつけて、彼の曲を積極的に歌っているし、
それよりなにより、あのキング牧師が

「私には夢がある」

って演説したワシントン大行進のときに『風に吹かれて』を歌ったのはP.P.M.だからね。
だから伝統性もメッセージ性も充分に兼ね備えたグループだったんだけど、
そこらあたりはあんまり注目されなかった。

で、志抜きの、彼らの音楽だけを真似た歌が次々に作られるようになる。
「どうもアチラじゃフォークってやつが流行ってるらしい。
どうですか、我々もひとつこのへんで」なんぞという誘いに答えて、
音楽職人・浜口庫之助が書いたのが『バラが咲いた』だ。
1965年。
和製フォーク第一号とされる。

いや、いいよ、いいけどさ、ハマクラさんも悪かないけどさ。
だけど、こりゃフォーク・ソングじゃないだろう、いくらなんでも。
P.P.M.が怒るぞ。
 最初の質問に戻る。

美人かブスかってあれだ。
ボクの答えを言うと、容姿にかかわらず性格が良けりゃマル。
で、性格にかかわらず容姿が良けりゃ、これもマル。
そもそも、他人の性格や容姿に注文つけられる立場にないのだよ、ボクは。
だけどね、
中身空っぽの人とは、あんまりお友達付き合いしたくないんだなあ。

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