夢眠のフォーク畑 004

いいわけ

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それは唐突に始まった。
「書いてみない?」と誘われ、「はいヨ」と軽い気持ちで引き受けた。
「じゃ、まあテスト版ということで」とちょっとニュアンスを変えたつもりの原稿3本を渡した。

@でいこうとか、Aのこの部分みたいな感じでとか、
なんかダメ出しがあるもんだと思っていた。

ところが、だ。
編集長のヤツ、ザッと読んだら鞄にしまっちまいやがんのよ。
「じゃ、次もよろしく」だって。
で、「うーんとね、僕、ワイン飲もう、夢眠は?」だぞ。
「えっ? いや、あの…日本酒で」と、答えてしまった自分が情けない。

憧れのお佳ちゃんから「どんな展開になるんでしょ」と、
お世辞だとしても訊かれたら、内緒で編集長より先に教えたい。
けど、ボクにだって分からないんだ。
これからどうなるかなんて。


だいたい、作者と読者の間には暗黙の了解があるもんだ。
フォークってのはこういうものという確固たる前提だ。
しかし、この「フォーク・ソング」って代物はそうはいかない。
間口が広い。
広すぎる。
フォーク・ファンの持つそれぞれのイメージが違いすぎる。

最強硬派は「フォーク原理主義者」だ。
フォークとはかくあるべしとか、こうでなきゃならんと主張する一派だ。
かつて、フォーク・シンガーはテレビに出ちゃいかんとか、
僕の歌は3分じゃ理解してもらえない、なぞとのたまっていた連中とその支持者である。
彼らに言わせりゃ、紅白歌合戦に出るフォーク歌手なんてとんでもない裏切り者だ。
ね?


この対極に「フォーク享楽主義者」派がいる。
テーゼはただひとつ、「楽しきゃいいじゃん」。
この一派の特徴は、広く浅く、だ。
だから友部正人とか古井戸あたりのアルバムの1曲を教えてやると感心される。
教えたこちらは、なんか博識になった気がする。

しかし世の中はそう単純に二分化できるもんじゃない。
強硬派の父と享楽派の娘の仲を取り持つ母親的一派も存在する。

これが最大派閥かもしれない。
一方で「お父さん、そうガミガミ言ってもね」となだめつつ、
娘には「アンタももう少しチャンとしなさい」と説教する。
この一派、自分では中立だと思っている。
だが、時として左右両派から「修正主義者」と糾弾されかねない弱みも持つ。


ボクはといえば、見てのとおりの穏健派だ。
あくまで中庸をめざす。
もう、これ以上、敵を増やしたくない。
あえて分類すればお母さんのように「まあ、まあ」となだめて回る。

だが、ひとつだけ、お母さんと決定的に違っている点がある。
なだめているときの手の向きだ。
お母さんの掌が下向きなのに対して、ボクは上向き……。
人、我を陰険派と呼ぶ。

こんな、四分五裂のフォーク・ファンのどの派閥に向けて、
いったい何を書けというんだろう、あの過激派の編集長は……

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