日々のこと29
○月×日

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〇月×日 

「インディザイン」という、呆気にとられるほどむずかしい「お絵描きソフト」を買った。
これまで使っていたものが、どうやら会社ごと失せてしまったようなのだ。
しかし、次がよりによって「インディザイン」はないでしょ。
これは、印刷業界のかた達が誤使用(僕のパソコンはこう変換した!)になる、
レイケンあらたかなるソフトだとは知らなかったのだ。

ちょっとした、自分のライブのチラシを作るやからが手にするものでは、
ぜったいなかったのである。
その証拠に、圧倒的に参考書の類が少ない。
自力で解ろうとするなんて、モッテノホカ、学校にいけ、学校にという業界人の声が聞こえる。

ねこにゴハンじゃない、コバンと、
この事実を知ったウォンとかいうピアニストが言っているのは知っている。

(この項2003/9/ひそかにアップ)


〇月×日 

 新しい歌ができた。四月のイギリス館で披露することになるはずだ。
今「我ながらいい歌だ」と思っている。しかし本当にいい歌なのかどうかは、
「われながら」とはほぼ関係がない。
僕には子供はいないので、想像の範囲をでないけれど
「親ばか」といったところなのだろう。

人前で歌うまで間がある。
 しばらく一人でハナ歌として時々日常に登場することになり、
それでも生き残れば、リハーサルで試すことになり、
それでも生き残ればライブで歌うことになる。
 そして、聴いてくれた方々にどの程度の印象を残すことができたかで、
その後がきまる。
僕という器からこぼれでるものがなければ、
殆ど感動してもらえないのだけは確かなことだ。


〇月×日 

 老眼鏡の度数が、遂に+3.5までになってしまった。
ツイニというのは、知っている人は知っているのですが、安
価な眼鏡としては+3.5までが多く、それ以上はなかなか見つからないか、
もしくはデザイン的に随分限定されたものしかないのだ。 
左目は生来の弱視で使い物にならないので、右目のみの話だが、
なんでも乱視もかなりの程度とセンコクされているので、
あつらえるのが当然ということだけれど、していない。 
 僕の年で+3.5はきっとかなりリッパなはず。
こうやってエバッテイル僕ってかわいそうですか。バカですか。


〇月×日 

 少々前の話だけれど、ある放送局のインタビューで、
僕は、音楽でものを考えているのを、この頃実感できると答えた。
その番組をたまたま見ていた友人が、二十代に、
あなたはおんなじことを言っていたと言う。
新鮮なカンドーと共にそんなジッカンをとうとうとのべていたかと思うと、
穴があったら…の心境だった。
二十代の生意気盛り用とと中年のブンベツザカリ用のアナは二つ必要だ。


〇月×日 

 平成14年、つまり昨年の自分の音楽活動を、
分析的に総括してみようという気に、一瞬なったのだった。
それは一瞬魔がさしたということでもあった。
分析に耐えられるシロモノではないということでもあるが、
ふと以下のことを思い出して、みょうに安堵したのだ。
誰か小説家の言葉だったと思うけれど「文学は女性がつくり、男性が分析する」とか。
もちろん両性の中に両性がイレコに存在したりもするわけだ。
 やめよ、やめよっ。
次ぎのコンサートのことカンガエヨウ。


〇月×日 

 年末年始と、ここ十年で一番呑んだ。
体調がよかったせいもあるが、そんな環境にメグマレ出したたということでもある。
アルコールの量と引き換えに、人との交流を深められたからいいのだ、
と言ってしまいたいが、どうも後ろめたい。
 その証拠に、12日の30キロのロードレースのコンディション作りに四苦八苦している。
体重の増加、ランニングの質の低下、そしてなにより自信喪失。
こんな時、駄目ランナーなりに決意することがある。ゼッタイ無理しないぞ。


〇月×日 

 一旦完成したと思っていた歌を書きなおす要請を受け、断ることになった。
僕の音楽を実際に聴きに来てくれる方たちのことしか考えずに着地した。
つまりその要請とは、書き直して歌謡曲の世界で使いたかったというものだっだ。
着地した場所が月面であろうが兎小屋の屋根であろうが、
しちゃったものは仕方がない、運命ということだ。

 ただし、歌謡曲の世界では、そんな歌を力ずくで書き替えてしまうということを知っている。
その結果、NHK大ホールの舞台や東京ドームに着地した歌だって、かなりあるだろう。
ぼくの行動はジョウキをイッシテイルらしい。




2002年、街の風景


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